ザメンホフの生涯 (11)

第一〇章 作家

 生や柔軟性に対する同じ好みは、ザメンホフの文体においてもみられる。かれは、化学者や天文学者や数学者ではなく、さらにまた、委員会で理論的に議論している、ただの言語学者でさえもなかった。ザメンホフは作家であった。幼少のころから、すでに詩才を表わしていた。かれの芸術は、ことばを使うことであった。調和と広い音楽的センスが、かれの言語と文体に、インスピレーションをあたえた。かれは、エスペラントについても、それがまったく気持ちよく流れるようになるまで、恥じていた。ザメンホフは、このことばで自由に詩がかけるようになったときはじめて、出版したのである。エスペラントが世に出たときには、その基本資料は、文法よりも文例と文体にあった。あの十六か条の規則というのは、事実は長年にわたって使用され、ためされた言語から、引き出されたものにすぎなかった。ザメンホフが、どれほど愛情をこめて、その生命と精神を吹きこんだものかは次の一文でわかる。「言語をつくるのを、委員会にゆだねることは、たとえば委員会に、いい[・・]詩を書いてくれと頼むようなもので、ナンセンスでしょう
 かってダンテは、イタリア諸国のいろんな方言から、あたかも独自の言語をつくった。ザメンホフは、いくらかそれに似て、インド・ヨーロッパ・アメリカ系の方言から、人間の友愛についての偉大な思想を表現するために、共通の要素を引き出したのである。その仕事と程度はさらに高くて偉大であった。それで、かれの天才の大部分が、言語そのものに使い果たされたとしても、驚くにはあたらない。不滅の人間像や感銘をあたえる詩歌をつくるためには、あまり残っていなかったのである。かれ自身の作品というのは、狭くて単純で、ささやかなものだ。けれども、人類のあこがれを、力強く表現しているものである。やはり多くの人をふるいたたせるものであった。
 散文作品がいくつか。誠意あふれる力強い詩が数編。大会を代表する讃歌。毎年の大会で読んだ演説。未来の詩編。
 ほかの人たちが、いずれは出てくる。かれらが、もっと豊かな作品で、エスペラントを有名にすることだろう。かれらには、なにもかも用意ができていることだろう。かれはそう願っていた。そのことでも、かれは、へりくだった態度をとっていた。いろんな国の大作家のものを訳して、多くの時間を過ごしたのである。
 世界文学のことはすでにゲーテが述べていた。ザメンホフは、人類語によってその宝を、あらゆる国民にとって価値があるようにしたいと望んだ。
 そのためにかれは、毎晩毎晩、くる夜もくる夜も、ランプのもとで根気よく、忠実にエスペラントでシェークスピアの『ハムレット』、ゲーテの『イフイゲニー』、モリエールの『ダンダン』、シラーの『群盗』、ゴーゴリの『検察官』などをいかすように、訳業を続けたのである。ヘブライ語がよくできたザメンホフには、聖書がりっぱに訳せた。かれの旧約は、各国の翻訳をはるかにしのいでいる。それはザメンホフの筆でふたたび、神の眼下にある人生のリズムに人のことばのリズムをもつ、驚くべき詩集となったのである。

 

「Vantaĵo de vantaĵoj, diris la Predikanto, vantaĵo de vantaĵoj, ĉio estas vantaĵo. Kian profiton havas la homo de ĉiuj siaj laboroj, kiujn li laboras sub la suno? Generacio foriras kaj generacio venas, kaj la tero restas eterne. Leviĝas la suno kaj subiras la suno, kaj al sia loko ĝi rapidas, kaj tie ĝi leviĝas. Iras al sudo kaj reiras al nordo, turniĝas, turniĝas en sia irado la vento, kaj al siaj rondoj revenas la vento... Estas tempo por naski, kaj tempo por morti... Estas tempo por plori, kaj tempo por ridi; estas tempo por ĝemi, kaj tempo por salti...... Estas tempo por silenti, kaj tempo por paroli. Estas tempo por ami, kaj tempo por malami; estas tempo por milito, kaj tempo por paco. Kian profiton havas faranto de tio, kion li laboras?」
(伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変わらない。日はいで、日は没し、その出た所に急ぎいく。風は南に吹き、また転じて、北にむかい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所にかえる……生きるに時があり、死ぬるに時があり.……泣くに時があり、笑うに時があり……悲しむに時があり、踊るに時があり……黙るに時があり、語るに時があり……愛するに時があり、憎むに時があり……たたかうに時があり、やわらぐに時がある。働く者はその労することにより、なんの益を得るか)

 

 意味だけでなく音楽が、音がきれいなばかりではなく、生命がある。生命、そのときの感銘、活気、表現の力強い鼓動。これが、ザメンホフの文体には躍動し、かけだし、歌っていた。

 

Ho kial ne fandiĝas homa korpo,
Ne disflugiĝas kiel polv' en vento!
(ああ、いっそ汚れたこの肉体が溶けてくずれて、露となって消えてしまえばいいに)

 

 ハムレットは、母親の行ないに激怒し、恥じてそう叫びだす。だがここに父の亡霊があらわれる。

 

Spirito sankta aǔ demon' terura,
Ĉu el ĉielo aǔ el la infero......
Respondu...... Diru al mi, kial
Sin levis el la tombo viaj ostoj.
Kaj la ĉerkujo, kien mi trankvile
Vin metis, kial ĝi malfermis nun
La pezan sian buŝon de marmoro,
Por vin elĵeti?
(聖霊か、悪魔か、
天国から来たのか、地獄からあらわれたのか……
答えぬのか……
さあ言え、かたく棺におさめて、儀式どおり葬ったあなたの遺骸が
なぜ経[きょう]かたびらを脱ぎすててしまったのだ? なぜまた、
安らかに眠っておられたあの御霊屋[みたまや]から重たい大理石のふたをあけて、こんなところに
出ておいでになったのです?)

 

 この文章より平明なものはない。しかし、また、展開する内面の力が使われて、これより生き生きとして、豊かなものもない。多くの年月がたっても、これらの翻訳は、やはりずっと、魅力的で若くて生命力のある言語の模範として残ることであろう。中央ヨーロッパの文学は、ほとんどすべて、バイブルの翻訳で始まった。ウルフィラスの訳はゴート語の唯一のドキュメントである。ルターのそれは、ドイツ語に一大エポックを画した。 
 力ルパチア山脈のスロバキア側では、神父たちが福音書によって、国語を定着させた。最初の基礎の、ぜひとも必要な部分として、この原典と、大作家たちのいろんな作品を、ザメンホフが残そうとしたのは、もっともなことであった。
 かれの原作になる散文からは、すでにたくさんの部分を引用してきた。それを通して、ザメンホフの控えめな人がらの内部にひめられている、あの熱情がもえていた。そこには、比喩と倫理で納得させようとする盛んな条理、強力な意志とねばりがみられた。言語を創始するのに必要なインスピレーション、試み、そして、しんぼう強い愛情のことをほのめかしながら、ザメンホフは、たとえば次のように書いたことがある。

 

「音楽とはどんなものかがわからない人には、ピアノをひくほどやさしいものはないと思われます——一つのキーをたたきさえすれば、音が出るというわけです、ほかのキーをたたけば別の音がするし、一時間ばかりも、いろいろキーをたたきつづけていると、一曲ものしてしまう——こんなにやさしいことはないと思われるのです。ところが、その人が自分の即興曲をひきだすと、みんなが大笑いして逃げだすし、ご自身でも、自分の鳴らすでたらめの音を聞いては、これはどうも、スムーズにいかんぞ、音楽というものはキーをたたきさえすれば、それでいいもんではないらしいと、やがてはわかってくるのです。人よりうまく演奏してみせると高言して、あれほど自信たっぷりの表情でピアノにむかったわがヒーローは、恥をかいて逃げだし、もはや二度と聴衆のまえに姿を見せることはありません」

 

 ザメンホフの文章は、いったいに長い。もっと現代の作家たちは、反対の好みをもっている。しかし、ザメンホフの語り口は、生き生きとしてスピードがあり、流れる。力感がある。かれの反復は体系的ではないようだ。それらは、熱心の結実したものとして、重たい。民族的に打撃や攻撃されることになれているかれは、論証によって身をかばい、反対論には、あらかじめ反駁[はんばく]しておくのだ。しかし、思想対思想、予断に対する説明であり、人身攻撃をしたことはなかったのである。ところが、文書活動によるそういう非個人的な闘争心でさえも、ザメンホフの気をもませた。それは、かれの気高い愛の気持ちを傷つけ、かれには高慢と思われたのだ。死後見つかった、人類主義の改訂稿には、かれの手によって自分用の覚え書きが、鉛筆でこう書いてあったのを、わたしは見た。「攻撃的なものはいっさいさけること!」
 ときどき、けっして意図せられたことはないけれど、論証癖のあるベールが、突然ぱらりとはずれ、心が裸で飛び出した。寛大な、純なたましいだ。感じやすい、デリケートな天性。

 

「おまえはいま、わたしの目のまえに浮かぶ、なつかしいリトリニアよ、わたしの不幸な祖国よ……」

 

 苦悩、しかし信頼、それになりよりも希望。これはまた預言者のような声だ。

 

「地上には、これからもなお、闇夜が長く続くことでしょうが、しかし永遠に続くことはないでしょう。いつかは、人間がお互いにオオカミであることをやめる時代がくるでしょう……いっしょに、かれらはみんな、同意して一つの真理、一つの幸福を目ざすことでしょう」

 

 ザメンホフの詩ではそのとき、ひたすら心が呼んでいる。勇気へ、がんばりへ、忍耐へ。イメージは単純であり、短くて、リズムはいくらか一本調子だ、しかし印象的である。

 

Eĉ guto malgranda, konstante frapante,
Traboras la monton granitan.
(小さなしずくもたゆまず打てば
花崗岩の山でもうがつのだ)

 

「第一書」の出るまえ、ザメンホフは自分の苦悩やあこがれを書いた。「わたしの思い」、「わたしの心ぞう」がそれである。のちには、かれの思いは、「神聖な希望のしるしのもと」に、かれの言語が集めたまどいに、とけこんでしまった。かれはこの歌にある「希望」ということばを、「勤勉な仲間たち」の讃歌の題にした。ザメンホフばかりでなく、何万という人間が、いまでは世界じゅうで有名な「希望[ラ・エスペーロ]」を歌うのが聞こえる。

 

それは血にうえた剣のほうへ
人間家族をひっぱるのではなく、——
永遠にたたかっている世界に、
神聖な調和を約束するものだ

 

 かくてザメンホフは、熱心な小人類の民衆詩人となった。ここでもまた、自分一個のことはきれいに忘れ、みんなの胸の思いを声にすることだけを重んじていた。共に苦しみ、共に喜ぶ。希望にもえる人間たちの友愛にみちたまどいの、あらゆる一般感情、共通の経験における、最も高い、あるいは深いすべてのもの、これらがザメンホフにあって、最もすなおな表現を見いだしたのである。

 

長いひでりや突風が
枯葉をちぎっても、
われらは風に感謝する、清められて
もっと新鮮な力を身につけるのだ

                       
 この歌、「道」は、ブーローニュ大会以前に書かれていた。同じく、「兄弟たちに」は、もっとまえに書かれたものだ。「道」ではこのあと、さらにものうげな行がたくさん続くが、ショパンの行進曲におけるように、悲しげにゆっくりすすんだあと、急速に快活な音楽が、勇敢にも前方へと吹きつける。

 

われらの勇敢な仲間はもう死なぬ、
風も沈滞も、おそれはしない。
ためされ、きたえられて、
一度きめられた目標にひたすら進むのだ

 

 小男で、ひ弱なからだをしたザメンホフには、恐れを知らぬ心と強力な意志がみなぎっていた。どの作品にも、「目的」と「がんばり」ということばが、いかにくり返して出てくるかをみるがよい。芸術的にみれば、わたしの好みからいうと、「緑星旗下の祈り」がいいと思う。さらに、ブーローニュとロンドンで、かれ自身によって読まれた散文作品(演説)のほうが、ずっといい。一般の読者には、かれの詩のなかからどれをとってみても、単純にすぎ、素朴とさえ思われることだろう。ある国民の誕生当時の共通語による初期の文学は、いずれの遺産をとってみても、やはり同じようにみえるものである。しかし、それらを愛し、くり返して歌った人たちの強烈な感情を理解するものには、それらも内面の光のもとに、非常に価値のある宝物とみえるのだ。何世紀もたつと、それらをたたえるために、部厚い本が出版される。素朴なところが魅力となり、単純なことは、最大の芸術となる。
 ザメンホフの詩についても、おそらくは、そうなることだろう。というのは、それらの詩は、エスペランチストの熱意だけではなく、同胞意識に目ざめる人類の感情をも、はじめて表現したものだからである。完全な芸術家たちは、いずれ出てくることであろう。しかし、人類の心の奥底にひそむ、友愛の明るい光へのあこがれを天才の耳によって、聞きとった最初の民衆詩人は、すでに祝福されてもいいのだ。