ザメンホフの世界とは、このひとが生きていた時代の世界であり、また、このひとの築いた世界でもあるが、さらにザメンホフが理想とした世界の意である。ザメンホフという人は、何をした人だったのか。何をしようと考えた人だったのか。過去、現在および将来の人間と社会にとっては、どういう意味のある生涯を送った人なのだろうか。
さて、平気な顔をして、「ザメンホフ」などと呼んできたし、これからもそう書くのだが、このひとは、どの程度に有名なのだろうか。ザメンホフと書けば、ああ、あのひとのこと、だと、世界中の人が思ってくれるのだろうか。どうも、そうではないように思う。
有名かどうかは、すべて相対的なことで、それ自体はどうでもよろしい。それでも、話を進める上では、知られている人か無名の人かで書き方が違ってくるから、無視はできない。ここでは、世間一般の人びとにとっては、あまり知られてはいない人間、ぐらいに考えておいたほうが、よさそうである。では、一般でない、いわば「関係者」ともいうべき人たちにとってはどうであろうか。これも、よくよくわかっている、とは言えないのが、ザメンホフという人物なのではなかろうか。
かく申す筆者にしても、すべてよくわかった上で、ザメンホフの世界へ皆さまをご案内しようとしているわけではない。どちらかと言えば、筆者が自分のために書くのがこの稿の目的かもしれない。
新年号からこの蘭を・・・と執筆の依頼があったとき、題が「ザメンホフの世界」だというので、即座に引き受けてしまった。この世界とは、じつにありふれた題なのだが、ザメンホフについては、まだ、このタイトルでは書かれていない。しかし、この「世界」こそはザメンホフにふさわしい言葉であると思う。いま、手元にはないが、土岐善麿氏によるザメンホフ伝は「ひとりと世界」という題であった。このあたりに、どうやら、この世界へのカギがあるように思われる。
1986-01-01:人類愛善新聞248号
詩人の土岐善麿さんが書かれたザメンホフ伝は、前回も紹介したように『ひとりと世界』という。はしがきからあとがきも含めて二十章の伝記だが、終わりのほうにある次のような言葉が題名の由来であろう。
“ザメンホフの57年の生涯はかくして終わった。が、しかも、その生命は全世界に拡充され、その悲願は全人類によって継続されねばならない。ザメンホフの業績は、かりにその信念であるエスペラント主義の内部的思想を「私的な」ものとみるものにとっても、更にその終生の悲願であった人類人主義の効果を認めないものにとっても、彼の創案した中立的人類語エスペラントを、科学性とその世界的発展に関する限り、それをまさしく20世紀の奇跡であると認めないわけにはゆかないであろう。彼は人間として「ひとり」の存在であったが、その事業が世界を覆うて、広大な地域に遍満しつつあることを否定することはできない。あくまで誠実に、謙虚に、彼は彼の人類愛をおし進めたのである。
(エスペラント原文省略)
小さな滴も休まずに打てば、
花崗岩の山もうがってしまう。
これは彼の詩篇「われらの道」の一節であるが、この東洋的なことわざ風のみじかい語句も、彼の偉大な生涯を思うとき、また新しい勇気と実行力を常にわれわれにあたえるではないか。われわれはわれわれとして、ひとりひとりが世界の中にあることを思わなければならない“(『ひとりと世界』日高書房、1947年刊より引用)
ザメンホフの生涯が、どういうものであったかは、これから見て行くのだが、土岐さんの評価を始めに紹介しておきたかった。
右の引用文にあった「エスペラント主義」「その内部的思想」「そのことを私的なものとみる、とは何のことか」等については、この「世界」の本題に入ることなので、いまは、心の片隅におぼえておいていただくだけで結構である。
1986-02-01:人類愛善新聞249号
本紙でも、ホマラニスモという言葉は、すでに何度も出てきたので、ご存知のかたも多いかと思うが、まずはこの言葉からか入ってみたい。日本語では「人類人主義」と訳されてきた。それでもいいのだが、ただ、一般的になんとなく理解されやすいような、他の「人類主義」と混同されないように、なるべくホマラニスモということにしたい。
広い意味の人類主義のようなものは、他にもいくつかあるようで、街で見かける「世界人類が平和でありますように!」というのも、そうであろうし、テレビで見られる「人類は皆兄弟」というのも、そういうものであろう。そのほか、何かと言えば「人類主義」とでもいうべきものの考え方は、まだまだあるにちがいない。
ここでは、しかし、そのような、広い意味での人類主義思想や運動を比較研究している余裕はない。というわけで、ザメンホフの人類人主義という意味でホマラニスモを使わせていただくことにする。
でも、そのホマラニスモとは、いったい何なのか。それは「人間をその生まれた国からも、言語からも、宗教からも、引きはなすことなくして、その人に、自分の民族的宗教的諸原則における、あらゆる虚偽や矛盾をさける可能性をあたえる。また、中立的人間性の基礎に基づき、相互の友愛、平等および正義の諸原則に基づいて、あらゆる言語や宗教に属する人びとと、意思を通じあう可能性をもたらす教え」である。
いきなり、こう言われても、分かりにくいと思う。単語として見れば、友愛とか平等とか、きいたような言葉がならんでいるが、新味は「中立的人間性」であろうか。いまでも言語戦争とか宗教戦争というのは、未解決の問題で、言語と宗教には、平和な生活をおびやかすものが、つねについてまわる。
中立といえば、「スイスは永世中立国」というように、国家の立場について言われることが多い。ザメンホフは、言語と宗教という問題を、中立のエスペラントとホマラニスモで解決しようと努力した人である。
1986-03-01:人類愛善新聞250号
ザメンホフのエスペランチスについては、改めて考えるとして、そのまえに、エスペランチスモ(主義、運動)とは何か、ということから見てみよう。
1905年夏、フランスのブーローニュ・シュル・メールで第1回世界エスペラント大会が開かれた時、ザメンホフは一つの宣言文を提案した。満場一致で可決され、ブーローニュ宣言として知られるものがそれだが、次のように定義している。
「エスペランティスモとは、中立的な人間語の使用を全世界に普及する努力のことである。中立語は諸国民の内的生活に干渉することなく、また既存の諸国語を排除することを目的とするものでもない。中立語は異なった民族の人びとに、互いに意思を通じ合う可能性をあたえ、またいろんな民族が言語上の争いをしている国では、公共機関の調停的言語として役立ち、さらに、いずれの民族にとっても同等に興味のある作品は、この言語で発表することができるものである。
特定のエスペラント使用者が、このエスペランティスモに結びつける、このほかの思想や希望は、すべてその個人の純粋に私的な事がらであって、それに対してエスペランティスモは責任を負うものではない」。
単に「国際語」と言わず「中立的人間語」とか「中立語」と表現していることに注目していただきたい。世界中にある「国」というのは、それぞれ一つの「国語」をもち、そういう国同士の国民が「国際的」に交流するときは、いわゆる国際語を使用すれば足りる、というようにはなっていない。同じ国の中で、言語戦争をしている例はめずらしくないほどである。それで現在では、国際語というより民族語、あるいは族際語という表現をする人も出てきている。
ある民族にしか興味のないことは別として、共通に関心のもてるような作品は直接、この中立語で発表できる、とか、同じ国の中で言語について争いがある場合は・・・というように、エスペランティスモは中立語の使用を全世界に広めるのを目的にしている。
1986-04-01:人類愛善新聞251号
真善美、という言葉がある。これをザメンホフに結びつけて、勝手に解釈をつけてみると、こういうことになるのではないだろうか。
まず、真とは、ザメンホフが生活の目的としたもので、ホマラニスモである。これは、一番むづかしいことで、種子をまいた程度で晩年を迎え、結局、人類に託された課題として現在に至る、と言っていい。真に到達する道は遠く、今後何世紀も要するであろうが、ザメンホフの世界が完成するためには、これを無視することはできない。
次の善とは、ホマラニスモを目的とした場合の手段で、エスペラントである。ザメンホフはさておき、一般の人間にとっては、この善だけでも充分に価値のあることにちがいない。で、ブーローニュ宣言にあった「中立語の使用を全世界に普及する努力」以外の「思想や希望」は、たとえ「純粋に私的な事がら」であっても、無用である、と言う人たちも出てきた。かれらは、エスペラントは「単なる言葉である」と言い、エスペラント運動を「まったく私的にせよ、なにかの理念と結びつけるのはやめてくれ」というわけである。ザメンホフにすれば、目的なしの手段だけでいいではないか、と言われたものであったろうか。
「ああ、なんという言葉でしょう!」と、ザメンホフは1906年、ジュネーブで行われた第二回エスペラント大会の演説中に、激しい調子で叫んだ。
「エスペラントを、ただ単に自分らに有利なことだけに使用したいという、それらの人びとの気に入らぬかもしれないという心配からエスペラント運動の理念をわたしたちの胸からむしりとらねばならぬとは! この理念は、エスペランティスモの最も重要で神聖な部分、エスペラント事業の主要な目的であります。エスペラントを思うすべての戦士たちを、常に導いてきた星であります。そんなことは、断じて許しません。・・・・・・もっぱら商売や実益の用にのみ使わねばならぬというような、そんなエスペラントなら、いっさい、かかわりをもとうとは思いません!」(この項つづく)
1986-05-01:人類愛善新聞252号
前回の、真善美のうち、美とは、ザメンホフの場合エスペラントによる著作活動の意である。人間は、美というものに、一番、よわいようである。スポーツでも、強いだけでは人気のある選手にはなれない。何らかの美しさが求められているのである。
エスペラントは、何かと言えば、文法なのだが、ただ、文法書を示しただけでは、善ではあっても、美にはならない。そこで、ザメンホフは、およそ30年にわたって、多くの作品を書き、つぎつぎに出版した、始めは自費出版で、後半に至ってやっと一流出版社から出版し、原稿料や印税も入るようになった。エスペラントは、ザメンホフが生み出した言葉ではあるが、世に出ることができたのは、クララ夫人の持参金が出版資金となったからである。
それにしても、ザメンホフは、自作の詩や論文、数多くの手紙のほかに、精力的に翻訳をつづけた人であった。ロシヤ語からはゴーゴリの検察官、ドイツ語からはゲーテやシラーの作品(群盗)、フランス語からはモリエールのジョルジユ・ダンダン。そのほか、ハムレットやアンデルセンの童話(全部、と言われているが出版されたのは4巻分)からポーランドの女流作家の小説、さらにヘブライ語の原典から訳した旧約聖書(全)に至るまで、量的にも大変なものである。
戯曲は、実際に舞台で上演されたものもあり、それこそ美しいセリフの効果が美の力を発揮し、エスペラントの危機に際して大きな力となったこともある。エスペラントが思うように広まらないのは、何か、この言葉そのものに欠陥があるからではないか、というわけで、何度か、改良問題が持ち上がったことがあった。そういうとき、ザメンホフの訳したシェークスピアやゲーテの作品が、その美事さによって、いやいや、この言葉は十分に美しい、ということを雄弁に物語り、危機を乗り切ることに大いに貢献したのである。
美事といえば、父の収集した各国語諺集をザメンホフがまとめたエスペラント版の諺集があり、全くすばらしい出来栄えである。
1986-06-01:人類愛善新聞253号