■社縁の時代
人間の関係を研究した本に、米山俊直氏の「集団の生態」(NHK現代科学講座4)というのがあり、そのなかに、「社縁」というコトバが出てきて、これに興味をもった。
むかしから、血縁・地縁という「えにし」にむすばれて、人間たちは生活してきたわけだが、とくに現代は、それ以外に、「社縁」の時代といっていいぐらい、もうひとつ、会杜・結杜という、いろいろの「社」の関係が増大しているときで、これを社会構成における「第三の要因」というのである。
わたしは、そういう説を聞くと、なるほどと思い、まじめだから、すぐにエスペラントにむすびつけて納得するのであるが、その締果、「語縁」というコトバを、思いつくハメになったのだ。あなたも、その「ご縁」によって、ここをいま読んでおられるわけで……。
エスペラント運動も、集団でやる以上、また現に、協会とか学会、連盟等と名のっているのだから、関係者はいずれも「結社」につながるわけだが、どうも「社縁」というほどの関係もないのに、なんだかんだと、お互いに接する機会がある。それで、社縁の一種として、特殊な「えにし」にはちがいないエスペラント「語」による人間関係を、わたしは語縁と呼んでみたいと思う。
■語縁の不思議
これは、まことにフシギな縁であって、人間関係にもいろいろあるが、この語縁杜会のそれほど奇妙なものは、史上まれにみる…と言っていいかも知れないのだ。
第一、外国人で、しかも初対面、どこのだれかもわからず、名まえさえもハッキリせぬことが多いが、「こんど、どこそこの国のナントカという同志が行くから、たのむ」という通知が、あちこちからとどくと、受けとった「同志」は、いそいそとヤドの手配をしてあげたり、または自宅へ泊めるつもりで、かの「同志」のご到着を待ちうける…ということになっている。そればかりか、会社のほうのつごうをつけたりして、目じるしの「緑星旗」という小旗をもって、駅のプラットホームまで、出迎えに行くというテイネイさなのである。
これが、外国から来た「同学の士」とか、その他、特別の事情がある外人ならともかくとして、だれかれなしなのだから、奇妙というべきだろう。最近では、これら同志たちの交流も、かなりヒンパンになってきて、こういう「美風」も、やや、うしなわれつつあるとはいえ、まだまだ、この語縁による歓迎風景は、すたれてしまうことはあるまい。
「結杜」ということなら、おたがい、来るほうも、むかえるほうも、たとえば、「世界エスペラント協会」の会員であり、そのために……という程度の、社縁がいりそうだが、なに、会員だから……という理由からではない。要するに、エスペラント「語」をやっているという、その点だけで志を同じうする同志、サミデアーノなのである。個人として、どんな思想をもっているか、という以前の話なのだから、ますます語縁の不可思議ということを思わざるを得ない。
これが、日本「語」の縁なら、俳句とか短歌、川柳というふうに、ジャンル別に結社があって、その社縁はあるが、日本語が通じるからという理由だけで、関係ができることはあるまい。
もっとも、海外にいて、コトバに不自由している日本人が、日本人に出あうと、それこそ日本語がしゃべれるからというだけの「語縁」で、ツキアイをするらしいから、例外はあるようだ。うえているときは、ジャンルや趣味のことまでは問題にしておれない、というところか。
とすれば、「同志」に会い、歓迎するというエスペランチストたちの風習は、まわりをギッシリ国語の生活にとりまかれ、ために、エスペラントにたいしては、つねにうえ、かわいているという、現在の環境によるわけであろう。つかのまの「ウマのホネ関係」さえも、たいせつにして、吸収せざるを得ないという現状では、それも当然のことであったかも知れない。ただ、この不思議が、いつまでつづくか、である。そろそろ、いままでのべたような状態は、時代おくれになってきているのかも知れない。ヨーロッパなどでは、とくにそうだろう。これからさきのことはとにかく、やはり、これまで、すくなくともわたしは、自分とエスペランチストたちのことをふりかえると、いろいろの「語縁」のおかげをうけてきたから、この「えにし」に思い至ったものであろう。よく言えば古典的、ありていに言えば時代おくれのエスペランチスト、ということに、わたしはなるのだろうと思う。
■無念の生涯
さて、社会的にいうと、無名の人たちが、これまで、エスペラント運動をささえてきたといっていい。ところがまた、二葉亭四迷とか大杉栄といった、日本の社会の有名人たちで「あのひとも…」エスペランチストであった(ないし、ある)という人は、すくなくない。思ったより多い、というべきだろう。
それにもかかわらず、エスペラント運動というのは、日本の杜会において、運動自体が無名の存在なのだと思う。たとえば、斎藤茂吉というのは、医者であったが、一般人には「歌人」として有名である。これは、おそらく、短歌というものが、一般に認められているからだろう。
ところが、日本エスペラント学会の江上不二夫理事長は、生化学者としては、一般にも名を知られた存在だと思うが、「エスペランチスト」としてはどうか。われわれエスペランチストたちが、そうと知っているだけであろう。要するに、昔のひとのことはいわぬとしても、いま、現代の日本で有名な人たちでエスペランチストでもある、というひとは、かなりいるらしい。しかし、いずれも、専門の分野によってそうなのであり、エスペランチストとして有名ということではない。有名人にしてしかり、その他、明治の世から現在まで、この運動にタッチしてきた日本人は無数であろうが、それらは、ことごとく無名の存在である。
なにも、有名になることが、いいといっているのではない。これらの人たちが、やってきたことが、いまも、日本の杜会において、正当に評価せられていない、ということが、いいたいのである。しかし、これは、「かれら」の、つまり「世間」のせいであろうか。それもあろうが、ひとつには、われわれエスペランチストのせいでもあろうかと思う。
大したことは、してこなかったといえば、それはいえる。だが、それをいえば、大ていの運動は、みんなひっかかることになる。たとえ、ささやかなものでもいい、一般の人たちが、「どれどれ…」といって、ひもとくことのできる「運動史」一冊ないではないか。
無数の無名者の群れが、60年このかたやってきた運動が、社会的にいっていまだに無名であるというのも無念なら、それにもかかわらず、そんな本一冊すらないエスペラント界自体も、より以上に、無念ではないか。
世に、残念無念の生涯を送る人間は多い。このままでは、エスペランチストたちも、そういう運命にあるというべきであろう。
それこそ、なにかの縁で、わたしもエスペラントに出あった人間のひとりとして、これらのことを思うと、やはり無念の思いがするが、それは、まだ、につまってはいない。そのせいかどうか、いまは「ご縁」などといってはいるが、いつの日にか、ザメンホフからいえば、まず80年来の無念をはらすときが、くるかも知れない。
エスペランチストたちが、いま、おさないからといって、笑ってはならぬ。おとなが、コドモをみて、わらってはまずいようなものだ。毛がはえてないのは、時機がきていないからだ。力だって、そのおとなより、うんと強くなるかも知れない。
■自身の問題
それにしても、けっきょくは、エスペランチスト自身の問題である。エスペラントは、もともと比類のない武器であるはずだが、世界の現状からいえば、まず、女こどものオモチャぐらいに見られているようだ。現に、エスペランチストたちも、この言語の実力がよくわからず、とにかく、すばらしいオモチャのようだから、ひとにもすすめよう、ぐらいに思って、これにたずさわっているともいえる。第三者がみて、奇妙に思っても、むりもないところがある。
個人にも、国家にも、いわば青春があり老齢期があるように、言語にも、それはあると思う。エスペラントも、世に出て80年、言語としても、そろそろ思春期ぐらいには達したものと見てよさそうだ。いや、まだ、おむつがとれたぐらいで、これから、モノゴコロがつくかどうか…というのが、実態かも知れない。エスペラントの、どこを見るかによって、それは、ちがってくるのだろう。
わたし個人のことをいえば、本書のどこかで、「日本人はウカツだ」なんて言ったが、自分こそ、まさにウカツであった。自分は、よき日本人でもなく、また、よきエスペランチストでもないという「信念」が、わたしにはあったのだが、そうして、たしかに「よきナントカ」ではないけれど、どうやら、日本人としても、エスペランチストとしても、一典型ではあろうかと思えるようになった。それは、時間はあったのに、エスペラントにたいする態度が、いかにもノンキであり、なんらなすところなく、トシをとってしまったからである。
ある意味では、人間は、かわらないだろうが、しかも、やはり「人間はかわるもの」だと思いたい。これまで、主張してきたことは、なにやら「他人」のため、という感じが、つよかった。いろいろ、これからは、人びとの「ご縁」をえてではあるが、もっと「自分のため」というか、自分で、「これが、仕事」だといえるものを、していかねば……と思う。わたしの興味は、とかく分散しがちで、なにかしようと思うと、「いや、もっとほかのことがあるはずだ…」という声がして、すくなくとも10年間、ウロウロしてきた。
(1967年11月7日)