興味の問題
平等コンプレックス奥義 (5)

IV. 表現の発見 ― 本をよむたのしみ 一

「カルメン」と「山賊」と…

 「カルメン」をまた読んだ。むかし、「フランス時代」と呼ばれる20世紀のはじめ、パリのアシェット書店からKOLEKTO de "LA REVUO"といって、赤い表紙の本が、たくさん出されたらしいが、この1911年発行の「KARMEN」も、そのひとつである。訳者は、SAM・MEYER。いくらエスペラントの本が売れぬとはいっても、さすがに50年もまえのこの本は、いまでは買えないようである。それでも、戦前のひとなら知っているだろう。わたしは借りた。

 また、といったのは、何年かまえに一度読んでいるからだが、こんども、おもしろく読むことができた。メリメの、この有名な小説の内容にふれる必要は、ないと思う。フランス語の原文とくらべれば、どうなのかは、わたしには全然わからぬことだけど、エスペラントの訳文は、一言でいうと、うまいものである。多少の古さはあっても、全体としてみると、ほとんど気にならない。50年もまえの訳であることを思うと、これは、じつに大したことといわねばならぬ。落ちついていて、よどみがなく、読んで気持のいい文章といえよう。(もっとも、古さとか新しさとかいうことは、ザメンホフのものをはじめ、むかしのエスペラント文を多く読んで、まず古いのできたえられたせいもあって、それほど分かるつもりはないが……)

 ついでながら、いま、多く読んだようなことをいったが、わたしがエスペラントをやりだしてから、やがて8年になるけれども、これまで読んだ量なんかは、タカが知れているだろう。大部分は、ひとさまに借りて読むので、実数はとても分からない。自分で買った本はわずかに20冊ばかりしかない。これが読んだ本の全部でないのが、せめてものなぐさめかも知れない。ちなみに、12月号に出ていた「在庫洋書目録」のうち、わたしが読んでいるのは、約40冊というところ。この目録にでてなくて、読んだものは、もちろんそれより多いとは思うが、100冊は越えていても、200冊は超えてないかもしれない。

 有名なW. Auldは、すでに10年ぐらいまえの「ヘロルド」に、何千というエスペラントの本を読んだと書いていたが、もう「万巻の書物」ぐらいは読破したのであろう。わたしなどは、せめて千巻ぐらいは読みたいと思っている。

 さて、カルメンのエスペラント訳は全訳ではない。日本語ではいくつも、全集やら文庫にはいっているが、1から4まであり、エスペラント版はその4がないのだ。もっとも、話は3で終り、4には作者のロマニ語についての研究がのべられているのだけれど……。

 つぎに、ちょっとおもしろい表現をすこしひろってみた。

......kaj ŝmiris la manon al la sonorigisto......これは、握らせるという意味だが、P.V.にこの意味がちゃんとでている。

 Ŝiaj haroj, eble tro dikaj, estis nigraj, kun bluaj rebriloj, kiel flugilo de korvo; ili estis longaj kaj brilaj.

髪はカラスの………というやつだろう。

En tiu momento, mi volus esti cent futojn sub la tero.

穴があったら………よりは、もっとテッティしている。

hundo kiu trotas, oston ja trovas.

イヌも走れば骨にありつく?

 Garcia jam kurbiĝis, kiel kato preta sin ĵeti sur muson. Li tenis sian ĉapelon en la maldekstra mano, por deturni la batojn kaj antaŭmetis sian tranĉilon. Tio estas ilia andaluzia teniĝo.

「音無しの構え」に使えそうなteniĝoだ。

 ところで、「世界ユーモア文学全集」というのが、いま刊行されていて、このなかには栗栖継氏の訳によって「二等兵シュベイク」も出されることになっているが、この全集の第1回配本には「山賊株式会社社長」が、ほかのといっしょに入っていた。著者はアブーというフランスの作家であるというのを見て、わたしは、あッこれは、どうもエスペラント訳があったようだぞ、と思った。しらべてみると、やはりカルメンと同じころにアシェットから、La reĝo de la montojというG. MOCH訳の本が出ていて、まさにそれであった。

 Gustave DORÉのサシエがたくさんはいった245ページの本だ。まえに、とても面白いと聞いていたし、日本訳も(エスペラントより50年もおくれて)出たことだから、借りて読んでみた。これは、いわば、研究に値するものだと思うが、いまはただ、なかなか楽しい本、とだけ言っておきたい。

 わたしは何年か前に、エスペラント訳のある外国の小説などは、それを読むまで日本訳では読まないように、特に心がけていたことがあった。カルメンもそのひとつで、ほかには「マノン・レスコー」「大尉の娘」なども、そうであった。「世界文学」の名作で、エスペラント訳のあるのは、多いとは言えなくても、いくらかはあるようだし、いま手にはいらぬ本も、学会にはたくさん保存されてあることと思う。そのうち、訳のいいものは、「エスペラント」誌上で、中級読物として紹介してもらったらいいように思われる。

 エスペラントの原作では、さいわい、いまもまだ手にはいる本だが、わたしもこれまで2、3回読み、これからも、くりかえして楽しみたいものとして、KREDU MIN, SINJ0RIN0!がある。これは、じつにケッサクな話で、Esp.で書きおろされたもののうちではまさに極付だろう。

(1961年、「エスペラント」7月号)

 

 

KREDU MIN, SINJORIN0!

 この本を読んで、スラッと分かり、充分に楽しむことができれば、その人のエスペラントにおける読書力は、相当のものである。これは、いわば「挑戦の書」であろう。といっても著者にはそんなつもりはなかったし、別にむずかしいことを書いてあるわけでもない。

 わたしは、しかし、これを読むと、どうだ、エスペラント原作でも、こんなに書けるんだよ、くやしかったら書いてみな、とでもいわれたような気がするのだ。エスペラントを、これほどに使いこなして書いてあると、読むほうが、それについていけなくて、シャレた表現なども、ピンとこないくらいである。

 いわゆる「エスペラント文学」には、翻訳と原作がある。これは原作で、著者の体験を書いたものだが、このCEZARO ROSSETTIという人は、これを書いてしばらくすると死んだので、唯一の作品となった。

 1950年5月8日のことで、48歳であった。RETO ROSSETTIはかれの弟で、いま盛んに仕事をしている作家。この本も、かれがはげまして書かせたもので、かれにdediĉiされている。「ヘロルド」社1951年刊のこの本が、10年たったいまでも、売り切れてないのだから、エスペランチィストはいったい何を読んでいるんだろうか、といいたいところだ。つまらぬ本なら、何年たったところで売れなくてもかまわないが、これは、じつにユニークな本で、だれが読んでも、それこそ面白くてためになるものだと思うから、ふしぎな気がするのだろうか。

 どこをとっても、引用したくなるので困るが、話のはじまるところからとると:

 

 Mi estis kuiristo en Edinburgo. En tiu tempo mi eĉ ne vidis komercan foiron. Mi ŝatis la kuiran laboron, forte laboris en granda hotelo kaj havis nenian ĝenon. Sed iun tagon venis perturba penso al mi ...... tre malkvietiga penso. Ĉu mia pago estas tiel alta kiel mi kredis? ――

 

 それからĉu、ĉuと自問していって、結局、コックをやめ、職さがしをすることになるが、このときは1928年で、このあと、10年間ぐらいに起こったことから、エピソードをいろいろ書いてできたのが、この本である。

 百貨店などへ行くと、「実演販売」というのをやっている。とにかく「便利な」品物などの、使用法を実演するあれだが、このことを、この本では、eksponiといっている。そのとき説明というか、口上をのべるけれど、それはdeklamiという。

 著者は、最初、行商からはじめて、自分で独立し、のちには何人ものeksponistojをやとって手広く商売するようになる。舞台はイギリス(スコットランドをふくむ)である。さきに引用したなかに、komerca foiroというのがあったが、イギリス各地である定期市をさしていて、主人公は、それがあるところをまわり、スタンドをかりて商売をするのである。その間のエピソードをつづったものだから、筋書きはどうでもよい。

 そういう商人の生態というか、ウラオモテを、おもしろく書いてあるが、著者もエスペランチィストの友だちにさそわれて講習会をのぞき、まえに一度かじったことのあるエスペラントを見直したため、それをきっかけに熱心なエスペランチィストになったので、この方面のことも、ときどき出てくる。というより、章の見出しが、コトワザ集とか、「エスペーロ」のversoとかからとってあるので、その点から見ても、これは非常にエスペラント原作的であるともいえよう。

 つぎに、ポツンと引用してみると:

 

 "Ĉu vi ŝatas mian apartamenton?" ŝi demandis.

 "Treege," mi respondis. "Kaj ĝi estas ĝuste aranĝita. Mia loĝejo estas aĉa kaj neoportuna. Mi intencas serĉi alian. Mi ŝatus trovi apartamenton kiel ĉi tiu, kie dommastrino ne kontrolas ĉiam ĉiun movon. Vi ne konas okaze tian apartamenton, ĉu? Ju pli simila al ĉi tiu, des pli bone."

 "Ŝajnas, ke estas io familiara en la direkto de ĉi tiu konversacio," ŝi koketis.

 "Ne necese," mi diris, “Sed la ideo ne estas malplaĉa al mi."

 "Nu-nu," ŝi diris admone. “Mi ja ŝatus vian societon, sed mankas loko ĉi tie, kaj cetere ĉi tie estas nur unu lito."

 "Do?" mi demandis sugestie.

 "Do?" ŝi eĥis ĉarm-hontete.

 "Do!" mi diris decide.

 Ni ne iris al la kino tiun vesperon.

 

 というのがあるかと思えば、別れ話もあるし、ぐれん隊がインネンをつけるところもあるし(そこへ通りかかった男がポカンと一発くらわせて:“Ĉu iu el vi havas ion por diri?''というところなんかも、おもしろい)、いかにゴマカシて品物を売るかというところや、サァお立ち合いをやった場合の、それを見ている人たちの群集心理についてとか、要するに、話はつぎつぎと変化し、おもしろいものであることはたしかである。

 しかも、それを書く著者の文章(lingvo)が、いかにも達者であって、語り口のうまさは、やはり商売がらdeklamiになれているせいかもしれないが、でも、これは、相当苦心をして、書いたものとおもわれる。

 イギリスの話で、しかも登場する人物たちの生きている社会が特殊なものだから、もともとは英語のスラングで話されたわけだが、この本では、そのスラングやナマリも、エスペラントで、それらしく写されている。こんなところにも大いに苦心したあとが見られる。

 この一書は、エスペラントの散文作品として、きわめて貴重なもので、この言語の文学史においても、もはや何もいわずにすますことのできないものとなっている。戦前には、エスペラントによる表現の可能性を極度に追求したものとしてRotkviĉの訳した、"Cezaro''という大作が出ている。

 この"Kredu...''には、会話をするところが、たくさんあって、そのままマネしたらいいというものではないけれど、わたしたちの重大関心事たる「会話」に強くなるためにも、参考になるところが多いようだ。つまり、「文学」はニガテという向きにも、気楽な読みかたができて、いろんな利用価値があるということである。

 ただ、これを読むにあたって、知らない単語をしらべるのに、「新撰エス和」*の訳語だけを頼りにすると、分かりにくいところや、おもしろ味が充分に味わえないことが多いかも知れない。いまの、SuplementoつきのPlena Vortaroを見るといい。というのは、この補遺は、本書よりあとに出たので、これには、本書に使用されている新しい単語、ないし表現が採用してあるからだ。といっても、新語はすくないしそれよりも合成語には、なかなかアザヤカなのが多い。「エスペラント」を本気でやりたい人にとって、これは、かくことのできない、いわば、「ものさし」みたいな文献であるとおもう。

(1961年、「エスペラント」11月号)

・旧版

 

 

毎度ありがとう…

 F.シラジのKOKO KRIAS JAM!という短篇集をみていたら、

― Bonvenon alifoje, pastra moŝto!(同書60ページ)

 というのが出てきた。これはボーイ長が言うコトバである。「またどうぞ……」というところであろう。そこで、これを応用して、

― Dankon ĉiufoje, via moŝto!

 とでも言えば、まいどありがとう…にならないだろか?どうだか知れないが、わたしは、そうなると思いたいのである。

 日常のキマリ文句など、それに対応するエスペラントをほとんど知らなくて、身近のものほど、かえって、むずかしいようである。たとえば、「さすが」ナントカ、というのは、よく使う日本語だけれど、これはどう言ったらいいのだろう。

 ばあいによって、もちろん、ちがってくる。ところで、3年まえ、わたしはイギリス人の同志でシンプキンスという人を案内して、北海道まで旅をしたことがある。そこへ渡ってから列車の窓ごしに見えるものに、サイロ(つまりsilo)があるが、さっそくそれを見つけたかれは、

 Devas esti Hokkaido; jen ni vidas silojn!

 てなことを言った。それを聞いて思ったことは、これが日本語なら、さしずめこれは、「さすがは北海道だ。サイロが見える」にちがいないということだった。そのときそう思いこんで、いまだにそう思っている。Devas estiが、さすがナントカ、であるばあいも、あり得るであろう。

 ちなみに、siloは「新撰エス和」に出ているが、訳語は、「サイロ」ではない。*

*1961年当時の話。

(1961年、「エスペラント」6月号)

 

 

腹をかかえてわらう…など

 いつであったか、このような、日本独特かと思われるような、いい方について、すこしばかり議論されたことがあった。「腹をかかえてわらう」は、たとえば、eksplodi per ridegoというふうに、表現することもできる、とか、教えられた。

 ところが、これはいま初めて気がついたことではなく、ゲーテの「ヘルマンとドロテア」にもあったけれども、いま手元にないから、引用できないが、つぎにあげるような用例もあって、必らずしもeksplodiしなくてもいいらしいのである:

 (前略)La ridego poste fariĝis kolosa, ĉiu tenis sian ventron per ambaŭ manoj, por satigi sian ridemom.(後略)(編集人注:ĉiu〜manojは下線付き)

 これは、la nica literatura revuoの25号に出ていた"LA VERDA ĈEVALIN0"というMARCEL AYMÉ作のなかに見られる表現で、まさしく、腹をかかえてわらう、に相当するものといえよう。こんなのに出あうと、うれしくなるのだが、この作品には、つぎのようないいまわしも出ている。

 (前略)La kortegaj sinjorinoj, ridante, frapis al si la femurojn.(後略)

 ひざをたたいてなんとかする、といったときには、参考になりそうである。なお、これは、L. Beaucaireという人が、フランス語から訳したものである。

 数年まえに読んだ"Sinjoro Tadeo"には、思いちがいでなければ、たしか、「敷居が高く思われた」とかいった表現があったはずで、sojloがaltaであった、というように書いてあったと思う。

 もっとも、そのような、自国語にしかないと思いこんでいた表現に、外国人の書いたエスペラントにおいて、出あったからといって、ただちに喜んではならぬ;それは、単に2、3カ国の言葉にあるだけかもしれず、したがってinternacia esprimoとは決められないからである……と、だれか、やはり外国のエスペラント雑誌で注意していたけれども、わたしがいいたいことは、こうである:

 それは否定しないが、わかると思って書いたことでも、相手に分かってもらえぬばあいだってあるから、そういう、わからぬかも知れぬが、しかし、もしわかったばあいには、エスペラントのいいまわしの上で、プラスになるようなことは必要に応じて使う方がいい;必要があれば、たとえ注をつけてでも、原文にある表現は、訳文においても、できるかぎりいかすようにすべきである;行きすぎはよくないが、もっと実験がなされていいはずである。

 わたしは、「横座りに座って」という、その横座りが、和英にもないし、どうしたものかと、久しく思案しているありさまですが。

(1960年、「エスペラント」4月号)

 

 

友人への手紙から

 ○ よく知らないが、文学というのは、内容の発見というよりは、表現の発見だろうと思う。というのは、読んでみれば、書いてある事実は、特にかわったことでもなく、なんだこんなことか、という程度のものが多い。いわゆる現実からみると、作品に書いてある事実なんて、甘っちょろいものだろう。しかし、現実は、それ自体の重みはあるが、果てしもないものだ。表現されなければ、どうもならん。

 ○ もし、あらゆる人間に、小説家ほどの表現力があれば文学というのも、もっと豊かになるだろう。しかし、現実にいくらネタがあっても、ふつうのものは、よう書かない、というより、実際は、書く値うちを認めない、のかも知れない。

 ○ 文学という以上、書かれたもの、表現されたものが、ものを言うのであって、それを書いた人の現実生活の値うちとは、かならずしも関係がない(もっとも、いくら空想をたくましくしても、作者の現実と、結びついてはいるが)。

 ○ 要するに、書かれたものは、それ自体生きている、ということである。

 ○ 書いた人が、どんな人間か、何も知らずに読んで、それで感動すれば、それが一番いいと思う。しかし、作品から背後にある作者の現実を思い、それで感動?する、というのが、案外多いようだ。

 ○ 日本人の名前といえば、外国の雑誌や本に出てくるとまあ、かならず、まちがっている、といってもよろしい(もっとも、その他の外国人名だって、まちがっているのかも知れんが、それは、こっちにはわからん)。知っているやつはなやむけど、知らんやつにすれば、どう書いてあったって、同じかもしれん。

 ○ infuzi teonについて。この表現が、われわれに(すくなくともEsp.で)なじみがないのは、お茶は、すすめるまえにだまっていれて(infuziして)から、「どうぞ」というので、ĉu mi infuzu al vi teon?とは、きくまでもないことになっているからかもしれん。ヤカンに茶の葉をほうりこんであるやつは、これはもうdekoktiか。

 ○ oficialaと、vivantaないしcirkulantaとは一致しないと思う。oficialaj vortojのなかには(まずわれわれには)、あまり用のなさそうな、何やらワケのわからん単語がたくさんあるようだ。それから、Universala Vortaroには、たまたま気づいたことだけど、redakci'とredaktor'はあるけれど、redakt'はない。redakcioやredaktoroは、redaktejoやredaktistoのあとから出て来たかと思っていたら、これは逆らしい。

 ○ 「魚つり」は、フナにはじまって、フナに終わる、というらしいが、エスペラントは、どうも、単語にはじまって、単語に終わる、ということではないかなと、近ごろよく思う。つまり、いまになってみると、本を読んでも、何やらわからん、はじめて出あう構文とか、文法的な事実とか、いうものは、あまりない、ほとんどはわかる、ということになっていると思う。ところが、いまだによくわからんのは、そうして、いつまでも困るのは、単語ではないか。知っているようで、よくわからない、というやつ。

 ○ ついでに言えば、日本語でなら、たとえば、

 

 というように、話なり、文が流れれば、そのまま、意味が語と文によって、直接、わかることになる。上記のモヨウは、そのままわかってもらえる。

 ところが、エスペラントになると、たとえ、そう言ったつもりでも、じっさいには、そうとられず、あるいは、そう表現されてもおらず、いわゆる、意味だけが、

 

というふうに、通れば上出来、という次第。点線の部分、すなわち各語のもち味などはあってなきがごとくなり。ĉu ne?

 ○ お茶でものみませんか;お茶などどうですか;お茶をおのみになりませんか。(注:「でものみませんか」、「などどうですか」、「をおのみになりませんか」はそれぞれ下線付き)
 といったものがあるとする。下線の部分も、表現できるはずだが、現実には、「お茶」であって、kafoではない、めしではない、ということが通じればよいので、下線のところはどうでもいいようになっていると思う。

 ○ それで、ちゃんと書いている人たちのものを、貧弱な読み方をしているのでは、気の毒だと思うわけだが、こんなことは、たいして気にすることもないかな。

 ○ ところで、このあいだから、風邪で、セキが出て、とまらんで困っている。そのことを、ちょっと、Esp.で書こうとして、たとえば、Tusoj min molestas.とでもしたかったのだが、(これひとえに、molestiなる単語を、一度使ってみたかったがためである!)果して、それでいいかどうか、不安なので、P.V.をみると、使えそうな定義のようでもあり、ちょっとぐあいがわるいように思えた。

 molestiというのは、他の人も、使っているのをほとんど見たことがないように思う。

 mol' estiとわけてみたくなるけれど、まるで逆の意味で、malmolestigiかな。

 ○とにかく、かねてから、しかるべき単語をノートしておいて、せいぜい使うようにでもせん限り、なかなか活用できないようだ。

 ○ 次に、文章のリズムということを考えると、これがなかなか、Esp.でかいていると、容易なことでないように思われる。

 stiloというのも、このリズムをものにせんかぎり、どうにもならんものだと思う。もっとも、知っている人間の書いたものを、その人の声や口調を思い出して、それでなぞりながら読んでみると、大体、そのとおり(声と話し方と文体が)だなとは思うことがあるけど。曰く、人間は、シャベるようにしか、書けないものである、と。

 例によって、グチのおそまつ。ĝis!

(1964年)