興味の問題
平等コンプレックス奥義 (3)

II. 興味の系列― kio lin interesas tio li estas ―

「エスペラント」といわれるのはなぜか?

 モバード(La Movado誌)の100号に、N. Z. マイモンによる「ザメンホフのシオニスト時代」というのを紹介したが、こんどは、やはり同氏がおなじ"la nica literatura revuo"の26号に書いた"D-ro ESPERANTO"を紹介することにした。

 エスペラントの「第一書」(1887年7月刊)が、ほとんど時を同じうして、数カ国語で発表されたとき、これが世間をおどろかせたのは、単に題名が一風かわった"Lingvo Internacia"というものだったからだけでなく、これまた耳なれぬ著者の名前"D-ro Esperanto"のせいでもあった。この本をよくみたものは、だれでも、これは実名か、それとも、だれかの匿名かを、自分にきいてみたものであった。

 ザメンホフは、著者であるばかりか、刊行者であり、そのほかなんでも、はじめはひとりでしなければならなかったから、自然、その名前が知られるようになった。エスペラント博士という匿名で、ほかにもDua libroなど何冊かが刊行されたが、そのころにはもう、ザメンホフ博士の名が有名になっていた。

 雑誌"La Esperantisto"は、その題字の下に"Gazeto por la amikoj de la lingvo Esperanto"と書き、すぐそのあとに"Sub la kunlaborado de Dr. Esperanto (Dr. L. Zamenhof)"と書いてあった。だいたい、第一書が出てから2年後には、「エスペラント語」というのは、一般的に使われていた名前であった。

 さて、ザメンホフは、なぜエスペラント博士という匿名を使用したか、という問題にうつるが、まず、これはザメンホフの楽観的な気持をよくあらわしていた、といっていい。
 しかし、これは、そのすべてではない。よくしらべてみると、多くの匿名がそうであるように、これも、やはり"ZAMENHOF"という姓に、もとづくものなのである。ザメンホフは、自分の姓を暗示しているような匿名を愛好したが、それは、ひっくりかえしたもの(Hamzefon、Hofzamen)やら、音の似たもの(Hemza、Homo sum)であった。

 そうして「エスペラント」も、かれの姓の最後の音節:hofの翻訳なのである。もともとhofという語はドイツ語で、長母音で発音され、中庭(korto)を意味するが、この名前のときは、短母音で発音されて、まるでZamenhoffとでも書いてあるようなものであった(これは、博士のオイStephen Zamenhof博士の証言による)。

 このhoff(hoffen)という動詞は、"esperi"「希望する」という意味である。ザメンホフ博士が、ほかならぬこの動詞をえらんだのは、それが自分の姓の一部だったからで、それを翻訳して分詞をつけ、"Esperanto"というものをつくったのであった。そうして、本名はかくされたが、同時にこっそりと、匿名に折りこまれていたわけである。


 われらのコトバの名前として、"ESPERANTO"はデタラメにつけられたのではなく、ザメンホフの名が含まれているのだという、これは、いまはじめて聞く話である。

(1961年、La Movado 2月号)

 

 

本はたとえ読まなくても…

― 読書週間(10月27日〜11月9日)によせて ―

 エスペラントの本について、すこし考えてみよう。本は、もちろん読むものであるが、本の「立場」から見れば、かならずしも読まれなくてもいい。しかし、「買われる」ことは、とくにエスペラントのそれのばあい、必要である。

 まず、ザメンホフの心のうちは別として、世間的にはエスペラントそのものが、例の「第一書」とよばれる小冊子によって、はじまったのである。それ以来、いろいろの書物が発行されてきた;それとともに、書く人や読む人にささえられて、エスペラントは現在まで育てられてきたといえよう。

 ここで、しかし、考えねばならぬことは、これらの本を世に出す出版者のことである。エスペラントの本は、日本語のようにはまちがってもベストセラーになってもうかる、という心配(?)など、まずないのだ。エスペラントは、しかし、出版文化なしには存在が考えられないのであるから、わたしたちは、できるだけのことはして、これに協力すべきであると思う。

 いまは時候もいいし、読書につとめることによって、楽しみのほかに、実力も養成できるかと考え、今月号には、すこしばかりの本について、紹介をしてみた。ただ、ここでつよくのぞみたいことは、たとえ読まなくても、買うだけはしてもらいたいことである。これは、エスペラントの出版文化に参加するということで、重大な意味があると思う。

 現在活動している発行所のひとつに、STAFETOがある;これの発行部数は平均1000部であるが、たったそれだけをさばくのに何年もかかり、一年で品切れになったものは驚異とされている。数からいえば、日本のエスペランチストが一年に一冊買っただけでもたりないものなのに――。ツントクでもいい、まず一部買うことから、はじめようではありませんか。

(1959年、La Movado 11月号)

 

 

ドン・キホーテとエスペラント出版

 Nuntempa Bulgarioの本年7月号に、この雑誌の編集部からのいくつかの問いにたいする答として、STAFETO杜のJ. レーグロ・ペレスが書いている「エスペラント出版者の経験」という記事は、おもしろいから、ここに紹介する。

 

 ドン・キホーテは、スペイン人のプロトタイプである。そこでこの本を読むのが、われわれは大変すきである―と、ペレスは書きだし、これをくりかえし読むことで、その主人公のように、スペイン人が理想家となり、常識ではとても見込みのないようなことには、ますます熱中することをのべる。つまり、高まいな精神の持ち主たちなのである。

 おそらくはここに、スタフェートが生まれた核心があるのだ。スタフェート書を出しはじめると、イギリス、ベルギー、オランダ、スウェーデン、スイスなどから、ああしたらとか、こうしたらとか助言する、分別くさい声がよせられた。これらの、長年の経験からなされる忠告は、ペレスには結局、非文化的なもの、つまりエスペラントが―無意識的にせよ―文化的ファクターではなく、なにか、言語の代用品、歴史をもった主人語でないドレイ語、といったものにすぎないとする人びとからくるものと思われた。

 ところが、ペレスにとってエスペラントは、ほかのいかなるコトバとも絶対にegalrangaであり、しかも、すでに「勝利」したものである。そこでペレスは、それらの「経験」の線には、したがわないことにした。それで、いまに失敗して思い知るから、とも言われたのである。

 しかし、しあわせなことに、エスペラント界には、やはり「非実際的」で「無経験」な人たちがいて、ペレスは、かれの冒険についてきて手つだいをしてくれる、ほかのドン・キホーテたちを発見するにいたった。そのモットーは、ほかの立派な文学の規準からみても、高い水準にあるいい作品を、エスペラント界にあたえることである。

 つぎに、読者のウケはどうかというと――Kvaropo (Auldなど4人の詩集)、La Bapto de Caro Vladimir、Koko Krias Jam!、La Infana Rasoはすで品切れとなり、ほかのいくつかも、すぐなくなる状態にある。このうち、もっともfulmeに出はらったのは、「4人集」とLa Infana Rasoで、これらは新語もたくさん使ってあり、まさに高水準の詩集なのであり、気楽に読んで分かる、というものではないのだ。 

 本の値だんは、売れゆきには、さして影響していない。いちばん売れないのは、もっとも安い本であり、しかも新語が使ってなく、zamenhofa lingvoであると、ホメられたものだったのだ。

 本年のSTAFETOは、主として戯曲を出すが、ほかのも出すし、若いタレントにも気をくばる。来年はProzoの年として、原作の長篇小説や、短篇のアントロギーオなどを考えている、ktp。――
 読書の秋に、STAFETOの本を!

Kunhelpu pluporti la torĉon!

(1960年、La Movado 一月号)

 

 

エスベラント・ジョッキー

1) 10年目のPlena Vortaro

 ラジオでさかんにやっているものに、ディスク・ジョッキーというのがある。だまってレコードをきかせればよいものを、くだらぬ小バナシかなんかをやたらに間にはさんで行く。だいたい型にはまっているので、もっと改善した方がいいと思われる番組である。

 ここではもちろんそれについて文句をいうつもりはない。ただ、この雑文の題に困っていて、それを思いついたから使うことにしたついでに、ちょっと書いてみただけだが、ディスクならぬエスペラント・ジョッキーというからには、もっぱらエスペラントに関するムダバナシをするつもり。これは実用記事ではないし、運動論とも関係がない。

 ところで、エスペラントについてはとかくの議論がある。これにかかわりだしたらきりがないので、ここではさしあたって何もいわない。エスペラントの中の問題として話をするわけで、たとえ苦情をいっても、それはエスペラント以外のコトバに色目をつかうためではない。

 ジョッキーというのは競馬の騎手のことだとわたしが初めて知ったのは、もう何年もまえのことだが、エスペラントにもちゃんとĵokeoというのがある。エスペラントはすごく簡単なコトバであると、まえからきかされているせいか、新しい単語を知るたびに、こんな単語まですでにあるのかと、妙な感心をするクセがわたしにはあるが、この単語を知ったときも、おそらく感心したにちがいない。もともと、あってあたりまえ、という程度のコトバにも、感心するのだから、エスペラントにはよっぽど単語がすくないものと、思いこんでいたことになる。

 もちろん、語イが貧弱であるということは、おおいに正しい言い分であって、それ自体もっともなことだが、逆にいえば、エスペラントには単語がありすぎるともいえる。つまり、すでにある単語から見ると、われわれ各自が知っている語イなんて、まさに貧弱なものであるということだ。したがって、わたしとしては、すでにある単語の主なものだけでも、ちゃんと分かるようになりたい、ということを考えているところである。

 条件つきだが、どちらかといえば「何でも表現できる」エスペラントなのに、エスペランチストがそれをようしない、という感じがP.V.をながめていると、しきりにするのである。エスペラントがどうというより、こちらが知らないのである、と思った方が真理にちかいのではないか。

 また、たとえばP.V.の内容をモノにしている人が、正確に話したり書いたりしても、わたしはそのとおり理解することはとてもできないことを知っている。一応わかってはいるが、読みが浅いのである。これは、P.V.をパラパラめくっていると、ごくありふれた単語なのに(あるいは、それだから)、なるほどそういう意味であったのか、とあらためて教えられることからして、あきらかである。

 やむをえぬことながら、エス和の訳語がわたしを誤まらせたのである。はじめはP.V.があることも知らなかったし、知ってからもとうとう買わなかった。このごろでは、早くから持っている人が多いようだが、わたしはついに買わずにおよそ10年たってしまった。もっとも、何年もまえから人のP.V.は見ていたから、中味とはかなりなじみになっているが。

 P.V.には例文がたくさんあって、それをひろい読みするだけでも面白いものだが、わたしはそれらを原文で読んでいることがかなりある。それは、ザメンホフのものから引用してあるのが多いのだから、あたりまえだが、しかし、ザメンホフのものは全部読んだわけではない。

 それにしても、P.V.を早くから使わなかったものだから、わたしの場合はどうしてもエス和的に理解することになる。もっとも、使っていたらうんと理解力がまともになっていたかどうかは、いまとなっては不明である。

 さて、ĵokeoというからには、ウマを見ておきたい。ĉevaloの定義のあとに:(f) amata~eto (amataĵo, preferata okupiĝo)とある。エスペラントの使命がいかなるものであっても、じっさいには、とかくamata ĉevaletoとみられやすい。

 そこで、P.V.をたづなとして、これにまたがってみると、コースが、どこまで行っても、また先へのびていくようで、なかなか終わりにならない感じである。上にあった(f)とは転義のことだが、これのついた語にはまた、比較、参照すべき単語をいくつかあげてあることが多くて、行く先ざきで、また別の単語があらわれ無限に?ひろがるような気がする。

 きょう発見?したものにspektroというのがある。もちろん、これまでは単にエス和にある:スペクトル〔理〕として知っていたコトバだ。しかし、P.V.ではこれはその3であって、そのまえには、1 Fantomo. 2 (f) Homo granda, maldika k malgrasa,というのが出ているのである。

 こうなると、こんどはFantomoが気になってくるし……というように、ことは簡単にすまなくなる。ところで、この(2)だが、これにあたる日本語は何だろう?と思ってみたが、これは「のっぽ」かなと思う。ついでに、岩波国語辞典でノッポをみると、こうである:〔俗〕せが高いこと、またその人。次に梶和エスでは、noppoはaltstaturulo, longkreskulo, altkreskulo。以上みたところでは、spektroが「のっぽ」かどうかきめられないが、とにかくそういう意味がspektroという単語にあることを知ると、わたしとしてはうれしがるわけで、これに似たような例は、もちろん、ほかにもいっぱいあるはずだ。

 辞書の定義どおりにはだれも使えないだろうし、また使えたらそれでいいというものではないが、エスペラントの使用者はひとつの国にまとまって住んでいるのではないから、国語などよりはよけいに辞書に頼らざるを得ないところがあると思う。エスペラントのわからなさ、ということとそれは無関係ではない。このことをあまり思いつめると動きがとれなくなるから、まあコトバというものは、あたらずといえども遠からず、ぐらいに分かっていればいいのであろう。エスペラントについては、欲が深いのでどうも気がもめるわけだ。

 

2) La Homa Lingvo

 ひとはいざ知らず、わたしがエスペラントについて考えるときは、「人間のことば」としてのそれであって、さきに書いた「わからなさ」も、16カ条の文法云々の一言語としてのエスペラントだからそうなので、それでは他の言語ならわかりよかろう、ということではない。つまり、人間のことばの代表としてあるエスペラントのわからなさ、である。

 エスペラントがそうであるというのは、もちろんわたしがかってに言うことで、これから書くことも、それを一応「そうである」としての話である。

 さて、ひとは生まれてから死ぬまで、簡単にいうと3種類の言語に接するようである。生まれた地方の方言、その国の国内共通語、それから外国語である。それぞれ一様でないことはもちろん、各人によって、具体的には雑多な関係がありうる。

 しかし、上記のいずれも、その土地と住民の生活にくっついている点では似たようなもので、「外国語」といっても、それを国語としている集団がまずはじめにある。

 もっとも、国語や外国語にはだれでも充分に接するというわけではなく、多少は接しても、それらが使用可能な程度になるまでには、いたらない者が多い。日常の生活がまったく方言だけですむ人の場合には、たとえ毎日ラジオやテレビによって、標準語とか共通語とかいわれる日本の国語に受動的に接していても、いきなりこのコトバを話すハメにおちいったときには、ちゃんとしゃべることができないようである。

 それでもこの人は、その場所が自分の土地、その方言の本場であるかぎり、相手はヨソモノに決まっているのだから、たとえ方言で話をしても安心していられる。そうして、この相手は少数派なのだから、自分らのことが知りたければ、この相手が方言を使うことを期待してもよろしい。住みつく者はなおさらである。

 アメリカ人の宣教師で、東北のあるいなか町に何年も住み、伝導をしているひとがあったが(いまでもいるかもしれない)、苦心しておぼえた日本語で話しても、土地の人は寄ってこない。それで、また方言をならって使うようにしたら、相手にされるようになったそうで、このことを日本語でききながら、いまさらのようにコトバというものに思いをいたした、かどうかは忘れたが、とにかくそういう例がある。

 つぎに、外国語の場合は、この方言を国の単位にまであげた状態で、特にいわなくてもよいと思うが、そこで問題は、エスペラントはそれとはちがうが、それでは何であるか、またはありうるか、ということになる。

 まず、ふつうの場合、エスペラントは生まれて10年〜20年(あるいは、もっとのことが多かろう)という年月がすぎた人間が、それぞれの方言、国語を別にしている人間が、ならって使うものである。いわゆるdenaskaエスペランチストというのも多少あるが、これもエスペラントだけではなく、より多くの国語的環境にかこまれているのだし、ザメンホフ以来、大多数は途中からやりだすのがふつうである。したがって「それまで」の条件がどこまでもついてまわる。うまい、まずいではなくて、あとはもう程度の問題だけで、いずれも条件つきである。

 さきに言った「わからなさ」も、これに関係がある。条件がちがうのである。日本語、英語というようにちがっている。これがからんでくるので、わからないところができてくる。

 つまり、「人間のコトバ」としてあるエスペラントのわからなさ、と言ったのは、正確には、各自にからんでいる条件のわからなさであって、本来、エスペラントそのものは、それを使う人間の条件そのものよりも、わかりよいものかもしれない。

 いずれにしても、あらゆる場合にひとつの言語で用がたりる、ということがないから、方言があり、国語があるわけでエスペラントにも人々が思いこんでいる以上の、存在価値があり、使い道があるのだろう。それがわからないから、一般的にいってエスペラントはナメラレやすいのかもしれない。自分に能力がないのを無視して、人工語だからニュアンスが…というのなんかは、どうかと思うが、しかし、ちゃんとできていると証明する人がいないし、いても、こんどはそれを分かる人がいなければ、困った話である。

 おかしなことをいうようだが、わたしは自分の才能については、はじめから全然ないが、エスペラントがあるという存在そのものと、その可能性については、いわばゼッタイの自信があるのである。自分やらひとやらの個人の能力は思わしくなくても、エスペラントの可能性を信じるというのは、いままでの人間、いまいる人間は一般的にこうであったから、こんごもそうでしかありえない、とは思わずに、人間の可能性に期待しているのと同様で、わたしなりには首尾一貫した理想である。それからすると、10年もやっているのに、パッとしない自分のエスペラントでも、ひとつの現実であるから…しかたない、などとはいわずに、だまって勉強すればいいわけだが、これまでの事実はこうであった。

 つまり、これは誤解されやすいコトバだが、わたしには「お手本」がなかった。たとえば、英語なら、これが英語!というような何かがあるし、英語をやる以上、これがお手本だというのがあるはずだ。しかし、さきにエスペラントについては欲が深いといったが、わたしはエスペラントにたいするいわば「理想が高い」のであるが、そのために、いろいろの人のエスペラントに接しても、それらの話される(paroloとしてのEsp.がいまの問題である)エスペラントを聞いても、あ、これだ!という感じがしない、つまり、わたしにある「理想のエスペラント」(しかし、具体的にはこれこれというimagoはない)にピタッとこないのである。もし、いつの日にか、現実にそれにあったら、ああ、これが自分の理想とするエスペラントであったか!といった気がするはずの、そういうものを聞いたことがない、ということである。もちろん、これまでにいろいろじょうずな人のエスペラントはきいたけれど、いまいったものとは別なものとしての、うまい、まずいという規準、つまり現実からの判断によるものだから、やはり自分の理想とは合わないし、これこれ!と思ってお手本にするということはできなかった、という意味である。

 もし、それに出会っていれば、とても自分には手のとどかぬようなものだったかもしれないが、それにむかって努カしたらいいという目標がそこにあれば、いまだに暗中モサクしているよりは、気が楽であったろう。

(1963年、La Torĉo 5(1)〜6(2)月号)

 

 

固有名詞の発音

 7月号(エスペラント)の「ひろば」に「TokioかTokjoか」というのが出ていた。あれに書いてあることだけなら、とくに論じることもないと思っていた。しかし、あれには、エスペラントの重大問題が合まれているので、この機会に、そのことを考えてみたいと思う。

 まず、エスペラントで「Tokio」と書くのは、なにも、シャレているから、そうするのではなく、これは、そのまま「トキーオ」と発音するためである(と思う。以下、である(編集人注:「である」は下線付き)というのは、もちろん、と思う、を略したものと思ってください)。

 東京と書いてトーキョーと発音すべきである、というのは日本語だからそうなので、それをTokjoと書けば、エスペラントで読むかぎり、トーキョーにはならない。ヘリクツをいえば、せいぜい「トクヨ」「トークヨ」(編集人注:ともに「ク」は小文字)であろう。つまり、「キ」の音が消えるのである。その点、アクセントはトーキョーから、はなれるが、まだトキ(編集人注:「キ」は下線付き)ーオのほうが、東京に近いともいえる。

 けれども、これは、近い遠いが問題ではなくて、東京を意味する発音は、各言語の精神がちがえば、それに応じて変わるということであり、このばあい、TokjoよりTokioのほうが、エスペラント的なのである。フランス語などでも、Tokioと書くようだが、このときの発音は、フランス語にふさわしいものであろうが、トーキョーとは言ってないようだ。

 外国人でも、日本語で話すかぎりは、東京はトーキョーと発音するのが正しい。しかし、それぞれの国語で東京のことを話すときは、各国語で東京をあらわす発音にしたがうのが正しい。ところが、エスペラントになると、原語の発音にしたがうべきである、というのであれば、おかしな話である。
 さて、日本語が話せるアメリカ人でも、たとえば、ニューヨークとかワシントンなどの発音は、日本語式にいわずに、原語の発音をするようである。これは、固有名の発音がむずかしいから…と解してもよろしい。ところが、「英語ができる」日本人で、日本語で話しているときに、それらを英語の発音でいうひとがある。そうすると、日本語の流れに異物がはさまった感じで、日本語としては困るのである。キザな感じ…といってもいい。原語の発音をならっているときは、もちろん、別の話である。

 それが、エスペラントで話しているときには、たとえば、en Tokioといわず、あるいはen Novjorkoといわず、日本人であれば、エン・トーキョーとか、エン・ニューヨークと発音しても、つまり原音で、または日本語式に言っても、エスペラントとしてはキザである、とは思われないのは、なぜであろうか。

 これから先が、いわゆる重大問題なのであるが、そのまえにTokioについて、わたしがいま思い出したことを書いておきたい。それは、およそ9年ぐらいまえの話で、東京は、エスペラントではTokioと書くことを知っていた。これは、それより1年ぐらいまえから、独習書でエスペラントを勉強していたので、それでおぼえたものか、その後会った人から教えてもらったものか、とにかく知っていた。

 そこで、あるとき、東京へ行って来た先輩に、それについて何かをたずねるのに、例会の席で、Tokio…と言ったことがある。日本語でなら、まさか、「トキーオにはどのぐらい…」とは、きくまい。エスペラントであったから、Tokio…といったら、そのひとは、自分はトキーオというのはキライであると、あっさり否定したのである。

 Tokioを正直に発音したのだから、わたしとしては、そのとき不思議な気がしたのだけれど、つまり、そういうことがあった。これは、東京をTokioと書いてトキーオと発音することには、抵抗があるということかも知れない。キザだと思われているのであろうか。

 それはとにかく、もとにもどっていうと、エスペラントとしてはキザであるとは思われないのは、なぜかといえば、つまり、エスペラントでは、それがピンとこない、からである。そういう、原音ないしある国語にある発音でいっても、キザと感じないのは、エスペラントがわかってないから、であろう。

 これは、ムリもないことで、固有名以外の「名詞」がOで終わっているのはとにかく、Oでおわってないものとして知っている、固有名詞まで、エスペラントではOにするというのは、うまく行かないことがあるからだ。

 TokioやKiotoは、Oでおわっていて、形の点では、名詞としての問題はない。しかし、大阪となると、OsakaoかOsakoか、まようはずである(たとえ、Oo…とはしなくても……)。ローマだって、Romaoでなく、Romoとしているところからすれば、やはりOsakoが、おちつくところか。広島はHiroŝimoとして、すでに使われているようである。「固有」といっても、地名はまだしも、人名となると、じつにヤッカイである。これは、もう、キザとかいってる問題ではない。印刷物を目で見ているだけのときは、そこは読まずにとばして行けば、すむことだけれど、声に出して読むとき、エスペラント文に人名(エスペラント化してない地名もだが)が出てくると、声がとまるのである。各国語に通じているひとなら、どこの人の名前でも、ちゃんと、それらしく発音できるのだろうが、わたしには、それはできない。

 なるほど、何語ではこういう、ということを知っていることは、けっこうなことであろう。エスペラントは、しかし、世界が相手である。しかも、各国人の姓名を正確に発音できるようになるのが、エスペラントの目的ではないのだから、人名といえども、エスペラント文に出てくるときは、28文字を知っていれば、その近似音ぐらいでは、読めるようにしておいてもらいたい、ということである。なんとも発音のしようがない感じなのは、こまる。

 ところで、わたしは、自分の姓名は、ずっとまえから、Tacuo Huĝimotoと書くことにしている。これは、日本語の「フジモト・タツオ」とは、もちろん、発音がちがう。しかし、エスペラントのアルファベットで読める音であり、アクセントも、エスペラント式にしてもかまわない、ということを示しているつもりである。たまたまOで終わっているけれども、そうでなくても、すくなくとも、エスペラント式に読めるようには、つづるであろう。

 ところが、ヨーロッパ人など、ローマ字を使っている国のエスペランチストが、原語のままで、その姓名を出しているのは、日本人からいえば、われわれが漢字かカナで、エスペラント文に名前を出すようなもので、日本人のように(藤本達生をTacuo Huĝimotoとするような)書きかえをしていないのである。

 Boultonでも何でも、正確に原音どおりに発音させようというのは、たとえば、藤本達生と書いて、外国人にも、それをフジモト・タツオと読め、というようなものであって、エスペラントからいえば、論外である。

 要するに、固有名が重大問題であるのは、エスペラントが、結局、国語ではないという(現状からいえば)弱みがあるということ、同時に、それは、国際語にすぎないということであり、また、それだけ、国際語ではある、というエスペラントの性格からくるものである。

 いまは、一般化できないけれども、いずれは、人名でも、すべてエスペラント化するぐらいの意気ごみ、というか、国語ばなれ、人類的精伸によるゆずりあいをしないようでは、エスペランチストも強いことはいえないだろう。なお、ザメンホフは、もともとSamenhofというのを、Zamenhofにしていたことを付記する。

(1963年、「エスペラント」12月号)