興味の問題
平等コンプレックス奥義 (1)

まえがき

 数年前、私が亀岡で、合宿というものにはじめて参加したのが、藤本との初対面であった。ある朝、洗面所でふたりきりになったことがある。何かエスペラントで話しかけてくるにちがいないと、私は少々身構えた気持ちになった。これは、地方にいて、あまりエスペラントで話す機会のないものには、共通で、当然のことであろう。一応弁解しておく。

 で、その時、先ず彼の言ったのが、「Donu al mi iom da dentopasto」。これが、私の曲ったへそに大へん気に入って、「おれ、お前」と現実には言わないけれど、まあ似たような縁のつながりが、できたわけである。

 日本語は、おかあちゃんのおなかの中にいる時から、もし聞こえるものとするなら、聞き、そしてやがては話すことになって、文法はどうだとか、合宿に出るとか、そんなユウチョウなことをやるひまも、必要もないのである。エスペラントは、しかし、今の段階ではそうはいかない。学んでものにするという宿命みたいなものがあり、年令にしても、親に口答えのひとつもしようか、恋人を口説いてみようか、というころからが、普通のようである。従って、どうしてもリクツっぽくなりがちである。だまってついて行くのは、せいぜい「三宅読本」の期間くらいであろう。

 何も勉強だから、それはそれとして、結構なことだが、リクツのならべ方にも、いろいろあって、面白い。やたらに熟語をならべる論文調、世間話でもするように、くだげた調子のもの、などなど。これは、その人その人のスタイルであって、とやかく言うこともない。好むか、好まぬかも、また読む人、聞く人の勝手であって、問題は中味にあると言えるだろう。

 藤本のスタイルは、どちらかと言えば、カミシモをぬいだ、あるいはそんなものは前から、身につけていないのかも知れないが、「歯磨少しちょうだい」という風な、気取りのなさに、個性的なものがある、と私は思う。気取りのなさも、気取りの一種と、言って言えないこともないが、そんなことまでセンサクしていては、際限がない。どうせ、コトバというものは不自由なものだから、もやもやとしたところは、もやもやとさせておいて、「どうだ、わかった?」と、ニヤニヤしているようなところがある。自分の引いた設計図に、キチンと相手を押し込めようとするから、コップの中で、ゴチャゴチャやることになる、つまらん、と思っているのかも知れない。

 次に、もう一度「歯磨」の話だが、この一事をもって、用意が悪い、と彼をきめつけるのは、性急にすぎる。第何回かの日本大会で、スイ星のように、は大げさにしても、突然のように現われて、雄弁で人々を驚かしたと、人づてに聞いたことがある。が、それには、やはり、何年間かの用意と、努力が必要だったはずである。「歯磨」は、折り悪しく切れていて、気付かなかっただけで、それ以上に「こだわる」必要は、毛頭ない。

 天才は努力であり、才能とは結果が決めるものであって、才能がないからと逃げるのや、天才ではないからと、努力しようとしないのは、男らしく、あるいは女らしくない、というのが、負け惜しみくさいけれど、私の持論である。努力とは仕事に通じる。

 エスペラントといえども、要するに、仕事である。見えるもの、掴めるものとは限らないとしても、結局は、仕事だと思う。そしてこの一巻は、藤本の、これまでの仕事についての、「中間報告」である、と言っていいと思う。「中間」というのは、ひとつの仕事に打ち込めば、それは、生を終わるまで「中間」である、という意味も込めてのことである。

 ともあれ、何事も「興味の問題」であろう。気の向いた時、気の向いたところから、寝ころんで、ガムでも噛みながら、読んでいただければありがたい、と藤本は思っているはずである。


1967年10月17日

上山政夫

上山政夫氏「まえがき」(手書き先頭ページ)

 

 

 いままで、いくつかの雑誌に発表してきたものと、こんど、あたらしく書いたものをあわせて、一冊になったのが、この本の内容である。

 一応、五章にわけ、それらしい題名をつけてあるが、なにがどこにあるかは、いいかげんな配列による。各章の長短も、まちまちである。

 期間は、ほぼ十年にわたっている。発表誌が書いてないのは「かきおろし」ということになる。タンカあり、泣きごとありで、文にも統一なく、雑然としている。製作進行中、内容外観とも、何度も変更した。

 収録できなかったものにも、未練はあるが、しかし、不満はのこったほうが、いいらしい。


本書の企画と提供:坪田幸紀