エスペラント・アラカルト (7)

㉕世界大会に思うこと

 北京での世界大会に参加した人たちの報告は、本誌にも次つぎに出ることと思うが、ここでは、出席しなかった者の思いを記してみたい。筆者が参加した最近の世界大会は、一九七五年、第六〇回コペンハーゲン大会である。たまたま機会に恵まれ、前年のハンブルグ大会と二年つづきで出席したのだが、それ以後十一年間、大会は経験していない。
 ただし、日本大会や、国内での地方大会は別で、これらには何回も出ている。同じ大会という名でも、しかし、それとこれとは大いに違う。今回、初めて世界大会を北京で体験してきた若い女性に、感想を聞いてみると、「もう、病みつきになりそう!」とのこと。「来年のワルシャワ大会にも行く」と決め、早速「来月から貯金を始める」そうである。

 日本のエスペランチストたちが、外国で開かれる世界大会に大挙して行きだしてから、ちょうど二十年になる。東京で第五〇回大会が開かれたのが六十五年、その翌年、ハンガリーの首都ブタペストでの大会には、日本から四十人(あるいは六十人?)ぐらい行き、去年までの二十回で、毎年、平均して四、五十人は出かけているはずである。正確な人数は調べていないが、ざっと千人前後の出席者と見ていいであろう。

 さきほどの「病みつき」に戻ると、この二十年間に、同じ人が何回も出かけたというケースは珍しくない。ほとんど毎年行っている人もいるほどである。とくに今回の北京は、「大本エスペラント友の会」の人たちも加わり、日本からの出席者は三百人に達したようである。

 もっとも、出席者のすべてが、また行きたいと思うわけではない。一回で、なんだ、こんなものかと、それっきりになる人もいるに違いないが、そういう人たちの声は、なかなか聞こえて来ない。日本からの人数が新記録を作った今年の北京大会のような例は、そうそうあるとも思えないから、多くの人たちの感想が聞けるものと期待している。

 病みつきになる理由は、人それぞれであろうが、一言でいえば、「世界大会ならではのよさ」であろうか。今年は、参加者がほとんど二五〇〇人に達するほどであったらしいが、約五十ヵ国、二千人からの人たちが、開会式にあたって全員起立、『希望[ラ・エスペーロ]』の賛歌を歌い出すのに接すると、やはり感動してしまう。今回は大本本部から8ミリビデオの取材者が同行されたが、先日、編集中の係の人にお願いして、一部分、見せていただくことができた。

 例えば開会式の最初のあたり、8ミリビデオの望遠レンズが映し出す画面に、舞台の前の部分がセリ上がってきて、国際合唱団と思われる人たちが『希望』を歌い出したとき、胸がジーンとしてきた。そこに居合わせていたわけでもないのに画面を見、歌声を聞いているだけで、そうなのである。さまざまな民族の人たちの間にまじり、実際に唱和している人たちなら、さらにジンと来るにちがいない。

 いや、自分で体験したときが、そうであった。同じ歌でも、日本大会でしょう和するときは、とくに感動もしたいから、これは、やはり世界大会独特の雰囲気のせいであろう。あるいは、国内大会には何十回と出て、なれてしまった結果の無感動かもしれないが……。

 そう言えば、世界大会に行くことなど夢のまた夢であった三十年前には、もう少し感激したはずである。

 ㉓で書いたように、一九五六年の秋、第四三回日本エスペラント大会に出席するため、わたしは生まれて初めて上京した。日本大会そのものは、前年の夏、吹田市の関西大学での大会で経験していたが、この時代にめぐり合わせたのは幸せであったのかもしれない。

 昭和で言えば三十年代の始まりで、高度成長の時代を目前にした前夜祭のような熱気があったように思い出される。

 当時の『エスペラント』誌(日本エスペラント学会)によると、この大会の前夜祭は、伊東三郎氏が組織して、宿舎にあてられた修養団の講堂で十一月九日の「三時半にはじまり、参加者百二十人、歌い、おどり、たのしい夕べをすごした」とある。わたしも、その中にいたわけだが、三十年も昔のことになってしまった。第二日の十一日は「朝から小雨。それにもめげず、開会時刻には、後から後からつめかけて、各分科会とも、会場がいっぱいになる盛会ぶり」であった。

 また「一九時三十分から弁論会。多数の男女高校生そのほかのわかい人たちが参加、熱弁をふるった」とあり、わたしも「そのほか」の一人で二一歳、エス語歴三年余りだったが、成績は等外であった。ちなみに、この時は二度目の弁論会出場だった。次の年、名古屋の大会では三度目の正直というわけか、二等になったが、これが弁論歴最高の成果で、その後も何回か出たことはあるが、優勝したことはない。そのうちに審査員をつとめることが多くなり、そういう時期がしばらくつづいたが、いまでは、弁論大会そのものが大会の番組から消えている。そのかわり「朗読コンクール」というのがあったのだけれど、最近ではこれさえもなくなった。これも時代というものであろうか。しかも、これは日本だけのことではなく、弁論コンクールは世界大会から姿を消したままである。

 さて、北京帰りの人たちも参加した第七三回日本エスペラント大会が八月九日十日の両日、大阪市内で開かれ、外国からも十人以上の出席者があった。わたしも、北京へは行かなかったが、大阪で旧知の人たちに会い、久しぶりに国際的な雰囲気と会話を楽しむことができた。世界大会のことは、もう少し詳しくビデオで見せていただくつもりである。

㉖外来語の採り入れ方

 エスペラント文法の基礎が十六ヵ条にまとめられていることは、すでに何度も触れてきたところだが、第十五条は、次のようになっている。

 いわゆる「外来語」、即ち諸国語の大半が一つの語源から採用した単語は、エスペラントでもそのまま使用されるが、書き方はエスペラントの正書法による。ただし、一つの語根による個々の単語については、基本語のみ変更なしに使用し、その他の単語はエスペラント語の規則によって形成したほうがよい。

 これは、「写真」の例で示すと次のようなことである。日本語では、テレビとちがい、「フォト」とはあまり言わないが、街で見かけるのはPHOTOGRAPHのような英語である。グラフの部分はさておき、フォトの部分で見ると、これをPHOTOと綴る言語(フランス、ドイツなど)と、FOTOと綴る(イタリア、スペイン、ロシアなどの)言語がある。エスペラントではFOTOGRAFと綴り、これが規則にいう「一つの語根」である。もし、PHOTOにすれば、発音がフォトではなくプホトになる。エスペラント語の「正書法」というのは時に発音に従い、時に字面に従う、という風になっている。

 これは「てふてふ」と書いて「テフテフ」と発音する場合と「ちょうちょう」と書いて「チョウチョウ」と発音する時があると考えればいい。つまりエスペラントでは「てふてふ」と書いて「チョウチョウ」と読むことはない。

 さて、ザメンホフは、『第一書』と呼ばれるようになった最初の出版物の序文でも、この外来語について触れ、次のような語をあげている。

 LOKOMOTIVO、REDAKCIO、TELEGRAFO、NERVO、TEMPERATURO、CENTRO、FORMO、PUBLIKO、PLATINO、BOTANIKO、FIGURO、VAGONO、KOMEDIO、EKSPLUATI、DEKLAMI、ADVOKATO、DOKTORO、TEATRO。

 約百年前のヨーロッパの人たちにとって、これらの外来語は、すでに各国語のなかで大部分は共通に知られていたということになる。エスペラントとして使うときは、右のような正書法にしたがって書き、発音しさえすればよかった。一から、未知の単語として暗記しなくてもよかったわけである。

 では、百年語の現在、例えば日本人にとって、先にあげた二十足らずの外来語は、どの程度「共通に知られてい」てことさら「暗記しなくてもよい」単語なのであろうか。その他のアジアやアフリカといった、ヨーロッパ以外の国の人たちにとっては、どうなのであろうか。

 じつは、こうなると、単に民族別、国別では分からない問題となってしまう。同じ日本人といっても、そういう外来語に近い生活をしている人と、そうでない人とでは差ができてしまっているからである。高校生あたりにアンケートしてみたら具体的な数字が出てくるかもしれないが、それでも、結局は個人差が出ることであろう。

 さて、百年前、ザメンホフが相手にした人たちというのは、一応、当時の知識人、すくなくとも雑誌や本を読んでいる人たちであった。そういう人たちにしてみれば、これらの外来語というのは、とくにどうということもない、おなじみのコトバであったものとみえる。かれらが驚いたとすれば、ザメンホフが、そういう外来語までも取り込みながら、こうすればいいんですよ、と、文法を十六ヵ条にまとめて提出したことではなかったかと思う。

 もっとも、十六ヵ条というのは、あくまでも「規則」であって、それさえ知っていれば、エスペラント語は何でも理解できる、というものではない。これには「冠詞」とか「名詞」、「前置詞」といった文法用語が使われているが、いったい「前置詞とは何か」ということは書いていない。しかし、前にも書いたように、これは「憲法」のようなもので、それより詳しい法律が別に必要なことと似ている。そこで、いまでは何百ページもある文法書まで出来ている次第だが、土台はやはり十六ヵ条の基本文法にある。

 外来語についての第十五条があるおかげで、エスペラントは、将来にわたって永遠に「世界中にある、あらゆる言語から、必要に応じて外来語を採用できる」という、開かれた言語になっている。その際、「枠組」となるのは、これまで、実際に使われてきたエスペラント語の正書法である。いったん、語根が採り入れられたら、あとは、エスペラント語の規則にしたがって運用されるわけだ。

 この「あとは、エス語の規則にしたがって形成する」という枠があるところがエスペラントなのである。その枠をなくしてしまうと、一面では自由になるが、際限がなくなるおそれもある。ただし、先に見たように、「そうしたほうがよろしい」とあって、そうせねばならぬ、とは書いてない。時には、語根一つだけでは不都合が生じる場合もあり得ることを見越してのことであろうか。

 外来語として紹介した単語は、大体、〜Oと、Oで終わっている。名詞(の単数)が〜Oであることは前に述べた。中には、〜Iで終わっているものもある。これは、第六条の動詞についての規則の一部に「不定法は〜I」とあるように、辞書の見出し語では、主として動詞的語根を示す時に〜Iとして使われる形である。簡単にいえば、動詞(そのまま)は〜I、であるが、語尾は過去、現在、未来で〜IS、〜AS、〜OSと変わる。

㉗「失敗は明白」という発言

 なるべく、気にしないようにしたいと思いながらも、次のような発言に接すると、やはり知らん顔で無視するわけにはいかない。記録しておく意味でも、そこだけ引用させていただくことにする。

「……たとへば一国の国語について、これをひとつの理念と計画にもとづいて、純粋に人工的、合理的に改めようとするのは健全ではない。エスペラントのやうな人工語の失敗は明白であるし、いはゆる「ベイシック・イングリッシュ」や、日本の漢字制限のやうな、人工的な言語改造も成功はおぼつかない」(『中央公論』一九八六年十一月号、山崎正和「文化の国際化とは何か」より)
 山崎氏の論文は二十二ページの長さのもので、その中の一部を引用して何かを言うのはむずかしい。わたしとしては、そういう論文のなかで、ことさら「エスペラントのやうな人工語の失敗は明白である」などと言及する必要があったのだろうかと、残念に思う。「明白」であるからそれ以上の説明は要らないということであろうが、それにしても「失敗は明白」とあっさり言われてしまうと、考えさせられる。引用文だけを見ても分かるように、なにもここで「エスペラント」を引き合いに出さなくても、氏の論旨の展開には何の不都合もなさそうな所で、またしても「やられた」という思いがする。(なお、この号には、問題になった中曽根首相の「知的水準」講演も全文採録してあるし、山崎氏の発言が気になる方は、同誌で読んでいただきたいと思う)

 そこで思い出したことがある。すでに旧聞に属することではあるが、ちょうどよい機会であるから、やはり引用する。

 VOICE誌特別増刊号(一九八五年四月)の巻頭インタビュー「今上陛下と昭和史」で、<聞き手・構成>井尻千男氏を相手に江藤淳氏が話した中に、こういうのが出てきたのであった。すこし前のところから見ていただく。

「江藤(注:「江藤」は太字) ……日本語という言語は、皇室を中心にして、柿本人麻呂以来、これを敬うということを根底に置いて言葉が構築されてきている。最近また国語審議会がかなづかいについて答申を出しましたが、技術的な問題は別にして、結局、国語問題は敬語問題に帰着すると私は考えています。

 敬語を中心に置いた言葉を否定する。それならどういう新しい言語をつくるのか。そんなことは人間には許されていない。人間は新しい自然言語をつくることはできない。与えられた言葉によって生きるほかない。ザメンホフがエスペラントをつくりましたが、特別の人々が一時期つかっただけで、いまはほとんど消滅してしまったといっていい。自然言語に類するものを人間が新たにつくることはできない。コンピュータ言語はできても、それはできません。

 今日の日本人は、必ずしも敬語を否定したわけでもないので、中途半端なところにいる。それはちょうど皇室の民主化という本来成立しえない概念と見合っている」

 わざと前後も含めて引用したのは、エスペラントに関する部分が、どういう文脈で出てくるかを見てほしかったからである。最初に、わたしが見たのは、『エスペラント』誌七月号(一九八五年)で、右の引用のうち「人間は新しい自然言語をつくることはできない」から「自然言語を人間が新たにつくることはできない」までの部分であった。同誌には「江藤淳論文に反論の予定」という、発行元である日本エスペラント学会の理事会での広報部の報告事項も載っていたが、その後今日にいたるまで、同誌に反論が出た様子はない。

 ところで、江藤氏は、エスペラントは「ほとんど消滅してしまったといっていい」と言い、それをまるで「自然言語を人間が新たにつくることはできない」ことの証拠にしているように思われる。先の引用文全体の中で、「ザメンホフ」以下の部分を言う必要があったのかどうか疑わしいが、氏は、ともかく、次のように断言なさっている。

「人間は新しい自然言語をつくることはできない。与えられた言葉によって生きるほかない」と。

 自然言語、というのは、コンピュータ言語などではない、人間が話したり書いたりする言葉、という意味だと思われるが、そういう、人間に「与えられた言葉によって」人間は生きるほかない、ということであろうか。この、江藤氏の言われることが事実だとすれば、すこしばかり、ややこしい話となる。エスペラントは、すくなくとも右のような意味においては「人工言語」ではなく「自然言語」と見なされた上で、矛盾した立場に置かれてしまう。なぜなら、人間は「新しい自然言語をつくることはできない」のが事実だとすると、次に来る「ザメンホフがエスペラントをつくりましたが」というのが、おかしなことになるからだ。ザメンホフというのは人名だから、この下りを言い直すと、「人間が自然言語をつくりましたが」となって、まったく矛盾する。エスペラントは「特別な人々が一時期つかっただけで、いまはほとんど消滅してしまったといっていい」というのも問題だが、変な所で引き合いに出されるのが一番こまるのである。

 ところで、江藤氏が言われる「一時期」というのは、いつごろのことで、それから見て、今は、どうなっているから、先に引用したように「いっていい」のであろうか。

 また、山崎氏は劇作家でもあるが、自作について、その「失敗は明白であるし」などと片付けられたら、どういう思いをなさるのであろうか。

㉘動詞の話

 前回引用したような問題発言に対しては、その都度、意見をのべることにして、今回は十六ヵ条の文法の話にもどる。

 日本語では、しゃべる[・]、おきる[・]、みる[・]、などのように「る」で終わる動詞が多い。ほかには、きく[・]、なく[・]、かく[・]のように「く」で終わるのがあるが、ローマ字で書いてみると、いずれも〜Uであることが分かる。この〜Uにあたるものが、エスペラントでは〜Iで表されるが、これについては㉖の終わりで触れておいた。

 名詞は〜O[オ]、形容詞は〜A[ア]、副詞は〜E[エ]、というように、それぞれ語尾で品詞の別が示されるが、それが動詞の場合は〜I[イ]なのである。ただし動詞には、過去、現在、未来のように「時制」と言われるものがあり、もう一度くり返すと、こうなる。ESTI[エスティ](である、いる、あるなどを示す語)が、ESTIS[エスティス]、ESTAS(エスタス)、ESTOS[エストス]となり、さらに、以上の「直説法」といわれるもののほかに、ESTUS[ウス]の〜US[ウス]で条件法、ESTU[エストゥ]の〜U[ゥ]で命令法が示されるように、動詞は単純ではない。

 とはいえ、第六条に「動詞は人称や数によっては変化しない」とあるように、「私は日本人です」も「私たちは」も、「彼らは」も、「です」の部分は、つねにESTASと言うから、複雑というほどではない。それより、名詞は〜Oが、複数ではJがついて〜OJ[オィ]となり、それに連動して形容詞も〜AがAJ[アィ]となるため、こちらのほうが、なれないうちは、ややこしい。具体的に見てみよう。

「私は日本人です」は、

MI[ミ] ESTAS JAPANO[ヤパーノ]で、

「私たちは日本人です」になると、

NI[ニ] ESTAS JAPANOJ[ヤパーノィ]とかわる。いわば「私たちは日本人たち[・・]です」というわけだ。ただ、音としては、軽く「ィ」(あいやしばらく、と言うときのィ[・]と思えばいい)というだけなのでたちというほど大げさには聞こえない。

「彼は若い日本人です」と「彼らは若い日本人です」は、次のようになる。

 LI[リ] ESTAS JUNA[ユーナ] JAPANO、そしてILI[イリ] ESTAS JUNAJ[ユーナィ] JAPANOJである。また、「私は若い」と「私たちは若い」も同様に

 MI ESTAS JUNAならびにNI ESTAS JUNAJと言う。

「彼ら」や「私」、「私たち」、また、「日本人(たち)」や「若い」にあたるところは変わっても、ESTASという動詞は不変である。ただ、「私は若かった」の時は、時制の変化に応じて、

 MI ESTIS[・・] JUNAと変わるだけである。それとは別に、動詞には、「分詞」というものがあり、過去、現在、未来それぞれに能動態と受動態がある。これは「話している[・・・・]」「話されている[・・・・・]」あるいは「…した」「…された」とか、「…しようとする」「…されようとする」というのを、語尾を形容詞で言えば、PAROL(パロル)(語根)+ANTA[アンタ]、即ちPAROLANTA[パロランタ]とPAROLATA[パロラータ](継続相)、PAROLINTA[パロリンタ]とPAROLITA[パロリータ](完了相)、PAROLONTA[パロロンタ]とPAROLOTA[パロロ-タ](将然相)のようになる、ということである。

 わがエスペラントも、これと関係があり、ESPERI[エスペーリ](希望する、期待する)にANTがつき、希望している[・・・・]ESPERANT[・・・]に名詞語尾〜Oがついた形でESPERANTO(希望している者)なのである。なお、ESPERIと言うと、一語のように見えるが、文法上は、ESPERにIがついた二語でひとつの言葉であり、ESPERIS[エスペーリス]のときは、ESPERIにSがついたのではなく、ESPERで切り、あらためてISを付けたものである。

 話が少し複雑になったが、ついでに言えば、「話す」と「話させる」のような「自動詞」と「他動詞」の問題もあり、まだまだ動詞はやっかいな点が多い。

 しかしながら、エスペラントには、いわゆる「不規則動詞」というのはなく、動詞の変化は一応、みな理屈に合ったものばかりである。「一応」というのは、規則的に出来ている、ということで、それから先は、動詞という言葉の機能そのものがかかえている問題が単純ではないため、決してやさしくはない、というのが実際のところだからである。

 エスペラントがやさしいところは、形の上で、ハッキリと見える部分で、それだけでも大したものであるが、しかし、「人間の言葉」である以上、エスペラントにも、むずかしいところが残ってしまっているのである。形式は整えることができたけれども、動詞の働きそのものに手を加えて単純化することはできなかった、と言えようか。

 もっとも、「やさしい」とか「むずかしい」と言ってみても、「だれにとってそうなのか」というのが第一に問題となる。日本人がやさしいと思うところは、要するに同じもの、あるいは似たものが日本語にある場合で、ない場合はむずかしい。たとえば、エスペラントにはLA[ラ]という定冠詞があるが、これの使い方がむずかしいのは日本語にないからだ。しかし、「その本」とか「あのテーブル」とか、いちいち「その、あの、例の」と日本語でも言うような場合は、まだ分かるのである。逆に、中国語のように、形の上で日本語の「ガ」と「ハ」にあたるものがない国語の人びとにとっては、この「ガとハの使い分け」は、まことにむずかしい問題となっている。

 やっかいなことに、定冠詞LAのむずかしさは、「むずかしさ」ということでは「ガとハ」に似ているのであるが、内容は決して同じではない。

 それはさておき、今回は話が動詞を中心にやや詳しくなりすぎたかもしれない。