エスペラント100周年の夢
エスペラント発表100周年記念論文佳作入選

エスペラント発表100周年、ザメンホフ没後50年を機に100周年に夢をかけて運動に新鮮な希望と新しい目標を持ち込もうと、日本エスペラント学会が、去る1月に募集した記念論文の入選作が発表された。(A)部門 -- 日本語論文ではEPA会員、梅田善美、藤本達生、筧邦麿3氏の共同作品が佳作第1位に入選した。以下はその論文である。

 

1987年1月1日 木曜日 快晴
いよいよ待望の年が明けた。これまでのようにモデル授業とちがって、本格的にエスペラントが教えられる。張り合いがちがう。昨夜、越年の盃を汲み交わした同僚たちも大いに力を入れていたっけ。
昨年12月10日付の毎朝新聞を読み直し、インテルサット・ニュースの録音も聞きなおしてみる。どの解説も、世連政府のヒットであるといっている。
学会の人々、大先輩、同僚各位とテレビフォンで年始のあいさつをかわす。みなさん、晴れ晴れとしている。M先生はげまして下さった。20年前の思い出を語る人もあった、
レルノリブロのファクシミリを整理する。

 

1987年1月12日 月曜日、小雨
今年はじめての授業。小雨の日は気分が落ちついてよい。実験時代ととちがって、今日はなにか心が引き締まる思い。生徒にまず、国際語が世連政府教育局の新指導要項の中で世界各国の共通使用語として採択された意義を話す。彼らはすでに、立派なエスペランチストであるが、やはりうれしさはありありとみえる。
4月の新学期から国際語教師の増員もあるから、学会の教育部もそのあっせんで多忙をきわめるだろう。来週は、国際会議がある。

 

1987年1月15日 木曜日、晴
今日は、各国の国際語教師群の見物があった。学期開始のズレで、ヨーロッパ、アメリカでは、6月新学期からの正科となるし、アジアでは4月、アフリカは9月からである。それらの調整のため、東京で国際語教師会議が開かれる。
国際空港には、それら教師を満載したジャンボ・ジェットが、東から西から、北から南から、この数日、ひきもきらないという。およそ5千人の会議で、10日間の会期。模範授業を行うわが校の教師たちは大張り切りだ。今日は、予備見学だった。
私も含めて、ここしばらくはみんな忙しい。

 

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以上は、東京に住む梅本邦男氏(50才)の日記の一部である。氏はすでに1950年代に国際語エスペラントを学習しはじめたベテランの国際語教師である。この日記にみられるように、エスペラントは世界連邦政府において、正式に採用され、1987年を期して、世界中で、中等教育に正科として導入されることになった。
この間の事情を、いろいろと追ってみよう。まず、日記の中にも出ている1986年12月10日付の毎朝新聞をみてみると、一面トップをかざる見出しはつぎのようなものである。
「世連議会で国際語の導入本ぎまり」
「世連政府教育局のエスペラント案通過」
「1987年から世界中で必須科目に」
そして、記事の概要はこうだ。
「ホノルル、12月10日発IPS -- さる11月10日から当地で開かれていた世界連邦議会は、今日その幕を閉じたが本会期中にとりあげられ、決定をみた数々の議題のうち、とくに注目されるには
"エスペラント語を国際語とし、世界中の中等教育課程において必須科目として導入する"
という、世界連邦政府教育局提出の案件が採択されたことである。これにより、1987年から、世界各国では、中等教育の中で自国語とならんで、エスペラントがすべての生徒に教えられるっことになった。そして、"自国内では国語を、国際的な通信、交流には国際語を"、という基本原則が打ちたてられ、今後、数年のうちには、あらゆる国際通信や集会には、エスペラントだけが公用語として使用されることになるだろう」
この決定についての経過その他については同紙の説明とインテルサット・ニュースの解説がくわしく説明しているので、それらをまとめると、以下のようなことである。

 

「1980年、長年の人類の念願が詰実し、また増大、伸張する地球を単位とした各種の技術開発とともに、国際連合をさらに強化、発展させた世界連邦が発足し、世界連邦議会、世界連邦政府、世界警察軍、世界裁判所などが機能を発揮しはじめた。以来、あらゆる国際問題は、これら機関を通じて解決され、実施されてきたが、その間、世界連邦の最大の課題の一つは言語問題の解決であった。発足と同時に、世界連邦は、「国際語研究部会」を教育局の中に設け、超国家機構にふさわしい国際語の導入について調査、研究をはじめた。
世界各国の言語学者、科学者、教育者などを中心にした同部会は、約2年間にわたる国際語研究の結果、最終的にエスペラント、インテルリングワ、ベーシック・イングリッシュの3つを選び、1982年から3年間にわたる実験を行なった。
実験の方法は、上記の3つの言語を、世界各国の中から3国をえらんで、それぞれ別々に、中等教育において、実際に教え、その結果をもちよるというもの。えらばれたのは、日本、オランダ、メキシコの各国で、対象は11才から13才までの中等科生徒。それぞれの国の該当生徒総数の5パーセントずつに、3つの言語を教えた。日本の場合を例にとると、全国で100校の中学校がモデル校としてえらばれ、それらの学校では、新入学生を3つのグループに無差別分類によって分け、エスペラント、インテルリングワ、ベーシック・イングリッシュのそれぞれをグループ別の専攻科目とした。従って、Aグループの生徒は1年から3年まで、エスペラントだけを、国語以外の言葉として、学び、Bグループはインテルリングワを、Cグループはベーシック・イングリッシュを、それぞれ専攻したわけである。
1985年末には、その実験の結果がまとめられて、世連政府の国際語部会に集まった。同部会は、その語6カ月にわたって、それを詳しく検討、討議した結果、国際語としてあらゆる可能性と実用性を有するのは、エスペラントである、という結論に達した。

この結論の基礎となった点はおよそつぎのようなことである。

日本、オランダ、メキシコの各国とも、モデル校では、それまでの必須外国語であった英語またはフランス語の教授を完全に打ち切り、実験言語の3つを前記のような3グループ別によって教えた。授業時間はこれまでの外国語にあてた時間と同じであった。
3年間の実験の結果は、はっきりとエスペラントの優位性を立証した。3つの言語それぞれに、これまでの英語、フランス語といった国語の場合と比べて、習得が用意であったことは認められたが、インテルリングワの場合は、書き言葉としての特徴はあっても、話し言葉としては、文法構造の上で欠点がいくつかあって、生活言語として困難な面がみられた。
これに対し、ベーシック・イングリッシュは、すでに1960年代にも言われていたことであるが語いの不足による表現の弱体、国語に基礎をおいた文法の不備などがさらに実証される、といったことで、3つのうち、最も不適当という結果が出た。
これにくらべて、エスペラントは、すでに90年に及ぶ世界的実用の背景もあって、読み、書き、話しの各面で十分な実用性が認められた。それとともに、エスペラント教授によって副次的に現れた結果として、自国語に対する理解と把握が、著しく深まって来たことが報告された。これにより、エスペラントは基礎言語として、高等教育過程において、一般外国語教授にも役立ちうることが予測されるにいたった。
他方、この実験期間中、これら3つの国際語案を支持する人々の大がかりな援助と働きかけも世界各国で行われていた。例えば、インテルリングワに関しては、創案当時からこの言語は学者間に支持を得ていたことから、期間中、さかんに科学論文をインテルリングワによって書く運動が展開され、主としてヨーロッパでは、数百編にのぼる自然科学や人文関係の論文が出され、実験国へのデモンストレーションが行われた。
ベーシック・イングリッシュについては、チャーチル首相時代に英国議会がこの言語の普及に相当な予算を出したことがあったが、その当時、数多く作られた書物をもとに、世界文学のベーシック・イングリッシュ訳をつぎつぎと出版して、文学語としての可能性を示すキャンペーンをくりひろげた。
エスペラントの場合は世界エスペラント協会を中心とした世界各国のエスペランチスト組織が活ぱつに働きかけを行った。彼らは主として、テレビ・ラジオ・映画といった視聴覚分野に力点をおいた。また、万国博覧会や国際的な会議、スポーツ大会などへ大がかりな展示や、通訳団をおくりこんだ。その上、過去80数年にわたってつくり上げた都市代表制ネットワークを通じて、実験3国の生徒たちの文通、旅行についての実際的なあっせんにつとめた。
このような、学分野、文学分野、実用面といった援助の働きかけは、他面、つねに世連研究部会にも報告されていたが、それらも実験結果と併せて、最終決定に影響を与えたもようである。
こうしたあらゆる面からのデータの積み上げと分析にもとづいて、国際語研究部会は、エスペラントを国際語として導入する、という結論を出した。これにより、1966年10月に開かれた世界連邦政府教育局の総会は、慎重な審議の上、同部会の結論を全面的に承認、同年11月の世界連邦議会に正式に議題提出を行なった。
この議題は世連議会でも満場一致で採択され、ここに、エスペラントは正式に1987年の新学期から、世界中の中等教育において、第二国語の立場で、必修科目として導入されることになった。
さらに、この決定にあたって、世連議会は今後、数年のうちに、あらゆる国際的な通信や会合、学術上、商業上その他の交流にあたって、エスペラントを公用語にするための準備をはじめることを付帯決議としている。
この国際語決定は、世界連邦創立以来の課題であった世界の共通語の導入問題に終止符をうったもので、世界の歴史に大きなできごととして明記されることである」

 

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以上、紹介してきたのは、エスペラント発表100周年の1987年におけるわれわれの夢である。しかし、これを夢としてだけにとどめることは本論文の主旨ではない。夢に対する分析も行わなければならない。
最近、未来学ということばが、人々の関心をひいている。これまで、学問的に未来という状況を解明する体系的な研究はまだ確立されていなかった。その分野は、どちらかといえば、予言ふうなとり扱いをうけ、不可視的な、あるいはユートピアンのような評価しかなかった。それが、このところ、非常に多くの人びと、殊に学者間に、この問題が真剣にとり上げられてきたということは、今日の世界的な科学、技術の発展とともに、何か必然的なものがうかがえる。すなわち、科学の高度な開発、技術上の限りない伸張ということから、未来というものが、ある程度、これまでの予言的要素とちがって、予測され得る段階にきているということができよう。
未来学の原則的な論拠として、従って、過去を歴史学にだけ任すのではなく、一つの未来図のためのステップとして把握する、という方向ができた。そこからまた、現状の分析を未来に結びつける技術というものが可能になってくる、そうしたものを背景にしたものが、論文の主体をなず、夢の紹介につながっている。
そこで、まず、いままで出てきた夢に中からいくつかの主体をとり出して、その分析をしておきたい。まず、20年後の予測という点については、未来学の中でも、一つの単位とされている。「20年という歳月は世代の交替をもたらす。1964年に生まれた幼児も、1985年には成年に達し、また今年成年に達したものは、20年後には働きざかりの年令である。このような世代の交替によって起る問題の把握しても、その処理方法にしても、今までのそれとはいちじるしく変わっていなければならなくなる」(フランス政府1985年グループの'1985年への省察'から)。
この意味から、論文懸賞募集にあたって設定された、20年後の夢、は適切なねらいをもっているといえる。さて、本論文における夢は、エスペラントが中等教育において必須科目として導入された、ということに集中している。これは、エスペラント運動が目標とする「教育の場に国際語を」という一方向をクローズアップしたものである。
そして、正科導入の可能性は、いわゆる好意的立場で、いまヨーロッパの各国で行われているようなエスペラント教授の実施だけでは、20年後といえども、世界中に普遍的に実施されることにはならないであろう。そこで、超国家機構の介入が必要となる。
世界連邦というものは、その名称はどうであろうとも、現在においてさえ、国際連合だけではどうにもならない複雑な国際情勢に中では、必然的に生まれてくるものである。
つぎに、実験段階における3つの言語の登場は、過去、現在の反エスペラント勢力を考慮すると、あり得べき選択になるのではないだろうか。
実験国の想定では、日本、オランダ、メキシコそれぞれにもつ国際性と言語事情のある共通性にもとづいている。ことに、日本については、近来、ひんぱんに開かれる国際的な規模の大きい集会が日本を会場にしていることや、東西文化の接点としての役割などが重要なきめてである。
その間、日本社会党の学制改革案もまた、20年間にわたる長期展望をもって立案されたものであり、併せて、東南アジアにおけるおくつかの国々が考える「東南アジア大学」の構想も日本を一つの主体としてみている。
夢の中の、国際語研究部会の最終結論にいたる背景には人類学的立場から考えられる情報産業の拡大にからまる国際語の条件(梅棹忠夫氏、「情報産業論」}やエスペラントの非歴史性にみられる各国民の対等の意識(川喜田二郎氏、「可能性の探検」)といったことがらもうかんでくる。
エスペランチストと内部の動きとしては、夢の中にも出たように、視聴覚部門における働きかけは、目下の急務である。また、日本としても、はっきりした国内組織の確立がここ数年のうちにはかられ、非ヨーロッパ地域エスペラント運動の推進に大きな力をもって来ることが予想される。
こうした分析は、まだまだ抽象的であるし、夢として描かれた部分にも、いろいろな資料的分析がもっと必要であろう。しかし、未来への対話にあったっては、過去における常識というものを、ことごとく振り出しに戻し、これまでの自明の理を、疑ってかかることも必要になってくる(林雄二郎「未来学ノート」)。従って本論文のスポットは現在考えられる可能性の範囲に焦点を合わせながらも、それらに付随するデーターについてては一応振り出しに戻し、逆算的に結果だけをもちだす、という浮かび上らせ方にしたわけである。
本論文のねらいとして、数多くの未来論、未来学の中に割合比重が軽くとり扱われている国際語論に一つの示唆をもたらすことがある。すなわち、多くが翻訳機の小型化に言語問題を片附ける傾向にあるが、それは人間性の根本につながる心と心のふれあい、という言語機能の本質をみのがし、言語をも機械的にとり扱おうとすることである、とわれわれは考えるからである。
20世紀後半に生きる35億の人間が、お互いに厚い言語の壁にさまたげられて、相互理解がスムーズにできない、という状況から一日も早く脱出しなければならない時代に、われわれはさしかかっている。
一つの世界、一つのことば -- これはバベルの塔の神話時代から、人類に課せられた大きな命題である。
ひるがえって、その可能性を十分にももつエスペラントに関しては、現在の勢力分野からみて、まだまだ開拓すべき多くのことがらをかかえている。しかし、エスペラントの未来には、時代の流れとともに、輝かしい曙が待ちうけていることを、われわれは確信する。
最近、とみに学界、思想界でも脚光をあびている未来論とからませて、われわれのビジョンをこうして展開してきた次第である。

梅田善美・藤本達生・筧邦麿
(Nova Vojo 昭和42年, 第9号)