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ごあいさつ ー 藤本達生

ホームページを開設することがあるとは、まったく考えてもいなかった。それが、このほど、かくのごとく開くことができることになった。
これは、ひとえに、エスペラント界特有の「人脈」によることであった。感謝のほかはない。小生もパソコンは所有しているが、まだまだ使いこなしてはいない。
技術面はもっぱら協力者に全面的にお世話になるが、本人としては、コンテンツを豊かにしたいものと思っている。長年にわたって書きためてきた原稿がたくさんあるし、これからも新しい作品を書いていくつもりである。テーマは、エスペラントに関係ないものも含まれることになると思う。「満を持して放つ」というところであろうか。

筆者紹介
ふじもと・たつお(1935~)は台湾に生まれ、のちに尼崎(1940~1944)、熊本(1944~1951)で育った。京都(1951~1962)、名古屋と福井(1962~1965)、亀岡(1965~1966)に住み、その後は京都に住む。
熊本で新制中学を終えたのみで、京都ではどのような学校にもかよっていない。1953年にはエスペラントに出会い、数年で使える程度習得した。1955年、個人的に宮本正男さん、およびKLEG(関西エエスペラント連盟)の事務所を知る。ここでは後年ボランティアをした。例えば1959年4月から1962年8月まで機関誌La Movadoの編集者、その後は松原言登彦さんのおかげで「天母学院」のエスペラントの仕事を担当した。
1961年JEI(日本エスペラント学会)は、1965年の第50回世界大会のために、野辺山で特別講座を開催した。その目的は会話能力のあるエスペランチストを育成することだった。筆者は、全国各地から参加した30名近い人たちを話せるようにする、3人の「中核員」のひとりとして招かれた。講座参加者自身も、一週間後各自地方に戻ってから、同じように中核員となることが期待されていた。このような講座は、のちには「合宿」として知られ、さまざまな主催者によって何度も行われた。
1963年筆者は宮内ますみと結婚した。ますみは野辺山参加者のうちのひとりだった。1965年始めになっても、筆者は無職のままだった。この年4月から宗教法人大本のエスペラントの仕事のために、嘱託として勤務することになった。
はじめは国際部で、27年間は若い人の教育期間「梅松塾」でエスペラントを教えた。運動面ではKLEG委員、JEI評議員、JEI理事(1991~2000)、UEA(世界エスペラント協会)国際委員(1999~1999)、UEA理事(1999~2001)、ルドビキート出版社代表(1973~)などの役割を果たした。著作品は、日本語書きの「興味の問題」(1967)他多数におよび、さまざまな雑誌にも数多く著し、例えばEPA(エスペラント普及会)発行の雑誌「Nova Vojo」のコラムニストとして執筆を続けた。

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